うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
剣淵が去ってしばらくしてからである。重い沈黙をやぶったのは、八雲だった。
「ごめんね。みんなを巻きこんでしまった」
剣淵が去ってからというもの、八雲の表情は晴れない。
「奏斗と話がしたくてね。でも家庭環境の問題があって、奏斗に会おうとしても断られていたんだ。それでこんな形をとったんだけど……失敗だったね。佳乃さんや浮島くんを巻き込んでしまって申し訳ない」
「でもこれは……強引すぎるやり方だと思います。これじゃ剣淵を怒らせるだけだし、話なんてできないと思いますよ」
「わかっています。でも、こうでもしなければ奏斗と話をすることができない」
剣淵兄弟の間に何があったのかはわからないが、剣淵奏斗の性格を考えればこのやり方は逆効果だろう。下手な小細工をし、騙して会う方が剣淵をより怒らせる気がした。そして何より、剣淵がひどく傷ついているのがわかったのだ。だから剣淵の代わりに、文句を言ってやりたいと佳乃は八雲を睨みつけた。
「あのね、佳乃ちゃん」
間に入ったのは菜乃花だ。
「史鷹さんじゃなくて、私が悪いの。二人が兄弟なことを知っていて、佳乃ちゃんにも言わなかった。それにこの提案をしたのは私なの。こうすれば剣淵くんはこの場にきて、史鷹さんに会ってくれると思ったから」
「だから、剣淵には『八雲さん』と伝えるように指定してきたのね」
「僕の母は、父と離婚した後に再婚しているんです。それで苗字が『八雲』になったんですよ」
「剣淵くんはそのことを知らないから『八雲さん』なら自分の兄だと気づかないと思ったの」
佳乃と菜乃花は長い付き合いだった。親友だと信じていた。
だからこそ、うなだれる菜乃花に対して怒りしかわいてこない。剣淵を騙して無理やり会うなんてひどすぎる。しかもそのことを佳乃や浮島にも黙っていたのだ。
「……気になるんだけど、聞いてもいーい?」
険悪な空気が流れる中、浮島が手をあげた。
「奏斗にしたい話ってのは何だったの? 巻きこまれたお詫びとして教えてくれてもいいと思うんだけどー」
「それは――まもなく来ます」
時計を確認しながら史鷹が言った。それと同時に、今度はコツコツと硬い音がこちらへ向かってくる。レストランフロアをハイヒールで叩く、その音は学校で聞いたのと似ているものだった。
「……あら。主役、きてないじゃない」
「ら、蘭香さん!?」
現れたのは北郷蘭香だった。
剣淵のことだけでなく蘭香の登場も聞いていなかったのだ。佳乃の頭が混乱していく。八雲は剣淵の兄で、菜乃花の知り合いで、それから蘭香の――そこまで考え、蘭香と八雲の関係は何だろうかと疑問が浮かぶ。顔をあげると、その疑問に答えるかのように八雲が口を開いた。
「僕、蘭香さんと結婚するんですよ」
小さな頃から、実の姉のように面倒を見てくれていた蘭香が結婚するなんて。こんなに喜ばしい話があるだろうか。相手が剣淵の兄だとか八雲だとかはさておき、蘭香が幸せそうにしていることが嬉しい。
こんないい報告を隠していたなんて。とちらりと菜乃花を見やれば、佳乃の予想とは逆に菜乃花の表情はしんと冷めていた。それでなくても綺麗なまんまるの瞳が、この一瞬だけビー玉に変わってしまったのかもしれないというほどに。
その冷やかさから佳乃は察したのだ。
これは荒れる。嵐がくる。厄介なものを上乗せした大混乱の秋がくる。