うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
だというのに――佳乃が言い終えた瞬間、階段踊り場の穏やかな空気に亀裂が入る。その隙間から冷気がじわじわと広がって凍りつくように、それは伊達にも侵食し、佳乃をじいと見つめる瞳から光が奪われた。
その感覚は嫌というほど覚えていたので理解する。
呪いだ。呪いが発動している。
「え、なんで、どうして……私、」
伊達が好きだと告げたのに、それは『嘘』だった。春先に伊達のことが好きだと剣淵や浮島に明かした時は呪いは発動しなかった。ではいつから、伊達への好意が嘘になっていたのか。
佳乃自身も信じられぬ展開に一歩後ずさりをするが間に合わず、瞳から生気を失いうつろな表情をした伊達に肩を掴まれる。がっしりと体を押さえつけられ、もはや逃げることはできなくなっていた。
回避できないと察した佳乃は、観念して覚悟を決める。
嘘の代償として唇を求め、影がゆっくりと落ちてくる。沈んでいく太陽のように、じわじわと蝕まれていく距離。さらさらとした伊達の髪が佳乃の頬をかすめた――その時だった。
足音が、聞こえた。
佳乃でも伊達でもない、三人目の近づく音。それと共に声が聞こえる。
「しっかし、佳乃ちゃんどこにいるんだろうねぇ」
「靴は残ってたから学校にいると思う。ったく、どこ隠れてんだよ……」
我が耳を疑いたくなるほど、その声に覚えがある。
剣淵と浮島だ。どういうわけか二人が佳乃を探しているのだ。その音が近づいてくる。
「様子がおかしかったんだっけ? 奏斗が何かやらかしたんじゃない?」
「俺は何もしてねーと思うけど……あいつが泣きそうな顔してた、から」
彼らの行き先は佳乃と伊達のいる、階段踊り場だろう。
これから来るだろう嘘の代償を、二人に見られたくない。
しかし、佳乃が抵抗しようが伊達の腕の中から抜け出せず、それどころかより距離が縮んでいく。
そしてついに、唇が重なった。
相手が伊達であるとかキスの感触だとか、そう言ったものはわからなくなっていた。唇を塞がれた瞬間、聴覚が研ぎ澄まされ、全身が鼓膜に変わってしまったかのような錯覚を抱き――だからその呟きを聞いてしまったのだ。
「……三笠」
階段の数段下の方から聞こえた剣淵の声。それは佳乃に向けたものというより、目の前の光景に失望して零れたものだろう。
それが、胸を苦しめる。伊達とのキスなんてどうでもよくなってしまうぐらいに、ただにがくて、くるしくて。
誰よりも剣淵にだけは見られたくなかった。その想いが佳乃の頬を伝って流れ落ちても、きっと剣淵には伝わらない。
今までで一番、長いキスだった。長いと感じてしまうほど辛い時間だった。
唇が離れて、伊達の瞳に光が戻りはじめる頃、バタバタと走り去っていく音が後ろから聞こえた。それは剣淵だろうと振り返らずとも予想がつく。
意識が戻ったのか伊達は目を丸くして佳乃をじいと見つめていた。それからよろよろと後ずさりをし、佳乃から離れていく。
まずは伊達に謝罪をしなければ。あの告白は嘘だと伝え、このキスについても説明をしなければ。
「あのね、伊達くん……」
気まずい中、顔をあげた佳乃だったが、言いかけたものはすぐに飲みこんだ。
なぜなら、伊達が青ざめた表情で佳乃を睨みつけていたからだ。体は震え、苛立ちのような感情を表にだして言う。
「……なぜだ」
「え?」
「なぜ呪いが発動した」
ぶつぶつと呟くそれは佳乃に向けたものというより、自問自答のようだった。
豹変という言葉がぴったり当てはまるほど、伊達の様子は変わっていた。王子様と呼ばれていた完璧な姿はなく、ひとり言にも荒々しさが混じっている。
「呪いは解けていないはずだ。記憶もずれていない。三笠佳乃は僕を好いているはず……ならば、これは嘘ということなのか……」
「……どうして伊達くんが呪いのことを知ってるの?」
そして佳乃の心に疑問が生じた。
佳乃が悩まされてきた嘘とキスの呪いは、伊達に話していない。なぜ伊達が知っているのか。佳乃が聞くも、伊達の耳には届いていないようで返答はない。
佳乃を置いてけぼりにして、伊達はふらふらと階段をおりていく。青ざめた表情でぶつぶつとひとり言を呟きながら、どれだけ佳乃が声をかけようが振り返ることもしない。
階下には浮島もいた。浮島も伊達と佳乃のやりとりを見ていたらしく、通り過ぎていく伊達を目で追うその顔にも驚きが残っていた。
告白だと思っていたのに。ふたを開けてみれば、告白らしさなんてものはほんの一瞬だけだった。
呪いが発動して、剣淵に見られて、そして伊達はおかしな様子になって佳乃を置いて帰っていく。
「……いったい、何なの」
伊達の足音すら聞こえなくなってから、少しずつ平静を取り戻す。目まぐるしく変わる状況に理解が追い付かず、ただ悩みごとが増えるばかりだ。