うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
だが、これで終わらないのが三笠佳乃の修羅場である。
佳乃が深くため息をつくと同時に、浮島が顔をあげた。
そうだ。浮島もいたのだ。そのことに佳乃が気づくと、浮島は階段をのぼって佳乃の元へと迫る。
「すっごい場面、見ちゃった」
にたりと笑みを貼り付けた浮島が迫る。
「佳乃ちゃんって伊達くんが好きだと思ってたけど、違うんだねぇ」
「話を……聞いてたんですか」
「さあ。でも色々とお察しはできちゃったかもね。呪い持ち女子高生って、わかりやすくてオレは好きだよ」
浮島は、逃げる隙はなく立ち尽くしたままの佳乃にずいと顔を寄せる。
それからシャツの袖を伸ばして佳乃の唇を拭った。まるで伊達と佳乃のキスを見ていたと告げるような仕草だった。
それでも佳乃の思考にあるのは剣淵だった。いまは浮島に構っている場合ではない。剣淵を追いかけなければ。
「私、急いでいるんです」
「どうして? 伊達くんも奏斗も帰ったよ」
「それでも、行かないと」
明日は剣淵にとって大切な日だ、剣淵は混乱しているだろう。せっかく八雲と会う決意を固めたのに、佳乃のせいで台無しにしてしまうかもしれない。
それだけじゃない。明日がどんな日だろうと、剣淵と話したかった。伊達のことも呪いのことも、とにかくすべての誤解を解かなければ。
浮島を避けて歩き出そうとした佳乃だったが、一歩踏み出したところで腕を掴まれた。
「待って」
こうしている間にも、剣淵が離れていくかもしれない。その焦りを嗤うように、浮島の指先は力強く、佳乃を行かせまいとする。
「放してください、急いで追いかけないと」
「どこへ行くの?」
浮島の問いに、普段のような軽さはない。手を振りほどこうとした佳乃でさえ、それに驚いて動きを止めてしまうほど、真剣な声音だった。
「伊達くんのことが好きではないんだよね。じゃあ誰が好きなの? いま誰のこと考えてるの?」
「――っ、それは、」
「教えてよ。佳乃ちゃん、誰を追いかけようとしてるの?」
佳乃の腕を掴んでいた指先がずるずると落ち、手のひらまで至ったところで優しく握りしめる。浮島の指先はかすかに震えていて、まるで縋りついているようだった。
「伊達くんを好きじゃないなら……オレにしてよ。オレならここにいるから」
失恋とは苦しいものなのだと、菜乃花を通じて佳乃は学んだ。
佳乃に縋る浮島もその辛さを味わおうとしているのかもしれない。そう思うとずきりと胸が痛んだ。
しかし頭から消えてくれないのだ。浮島ではなく、剣淵奏斗の姿が。
振り返って剣淵の表情を確認することはできなかったが、きっと傷ついた顔をしていたのだろう。強くて優しい男だから、明日にはそれを押し隠して佳乃に接しようとするのかもしれない。
気づいてしまったのだ。浮島に失恋の辛さを与えてしまうとしても――それよりも、もっと、傷つけたくない人がいる。
「……浮島先輩」
佳乃はじっと浮島を見つめた。そのまなざしに宿るのは、ようやく自分の気持ちと向き合って得た小さな決意だった。
「ごめんなさい。好きな人が、たぶん、います」
まだ自信はないけれど。きっと好きなのだと思う。長年抱いてきた片思いを打ち砕くほど、その人のことが好きになっていた。
佳乃の答えに浮島は頷く。嘆くことも驚くこともせず、淡々とそれを受け入れていた。
「……ふうん、オレよりもそいつの方がいい男なんだ?」
「はい……でもこんな私を好きになってくれて、ありがとうございます」
「じゃあ最後に――オレのお願いを聞いてよ」
佳乃の手をぎゅっと強く握りしめて、浮島が言う。
「『奏斗が好きだ』って言って。それで許すから」
その言葉にどきりとした。浮島の好意を断った直後なだけに、剣淵の名を口にすることに罪悪感を抱いてしまう。
それでも浮島の願いを叶えようと勇気を出し、唇を開く。
「私は、剣淵が好きです」
呪いが発動してしまったら、と抱いた不安は消えた。階段裏の穏やかな空気は壊されることなく、浮島の様子にも変化はない。
佳乃が抱いている剣淵への想いは嘘ではないのだと、呪いが証明しているようだった。
「……ふ、はは、あはは」
少しの間をおいて浮島が声をあげて笑いだす。
「せめてこういう時ぐらい、嘘をついてくれてもいいのにね。オレの好きな子はキスもさせてくれない正直者だ」
「ご、ごめんなさい」
「いいよ、謝らないで。あーあフラれちゃったな。まあ伊達くんより奏斗の方がマシか」
浮島の手がするりと離れる。そして佳乃の頭をそっと撫でた。
「オレのお願いを聞いてくれてありがと。だから、そんな泣きそうな顔しないで」
「……はい」
「フラれちゃったけどオレは佳乃ちゃんの味方だから。奏斗にいじめられたらいつでもオレと付き合ってよ」
好意を断って、きっと傷つけてしまっただろう。だというのに、浮島は優しく佳乃を見つめている。
それが切なくてたまらないのに――でもやはり、頭に剣淵の姿が浮かんでしまうのだ。
もっと早く気持ちに気づいていたら。剣淵に呪いのことを話していたら。きっとここまでこじらせることはなかっただろう。これ以上周りを傷つけてしまわないために、剣淵と話さなければ。
恋とはきらきらしたものだと思っていた。
しかしあたりを見渡してようやく、自分や周りを傷つける棘だらけの世界なのだと気づく。それでも、会いたくて会いたくてたまらない。恋とはこんなにも苦しい。