うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
佳乃からすれば、唐突に引き止められ、しかも体をがっしりと抱きしめられる形だ。
佳乃の腕から胸部まで締め上げるように腕が回り、首筋に剣淵の頭がことんと落ちてくる。乱れた髪が鎖骨に触れて、妙にくすぐったい。
「勝手に一人で完結してんじゃねーよ。誰がお前を嫌いだって言った――確かに呪いの話を聞いた時は色々とわからなくなったけど、でも俺が好きなのは三笠だ。呪いなんて関係ねーよ」
「け、剣淵……?」
「呪われてようが呪われてなかろうが、お前のことを好きになってた。呪いがなくてもきっとお前にキスをしたいと思ってた」
次々と鼓膜に届く言葉を咀嚼し理解するまで、ひどく時間がかかった。
もしかすると全ては佳乃の淡い希望が見せた夢なのかもしれない、そう思うほどに佳乃にとって幸せな言葉だったのだ。
体が震えた。理解しようと時間をかける思考より、体が先に反応し、剣淵の温度に包まれていることを喜んでいた。
「だから呪いなんてもん解かなくていい。お前が嘘をつくたびに俺がキスをする。それじゃダメか?」
「で、でもそれじゃ剣淵に迷惑がかかっちゃう」
「好きなヤツとキスができる呪い、そんなの最高だろ。だから呪いを解くな、伊達のところには行かせない」
ああ、やはり、涙がこぼれていく。剣淵への想いともっと近くにいたいという欲と、そして想いが通じた奇跡に視界がじわじわと滲んで溢れていく。
両想いが奇跡なのだとしたら幸福な色をしていて、切なさに似ているけれど春のように温かなものなのだろう。それを噛み締めて、佳乃は聞く。
「後悔しない? 私が変な呪い持ちの子でもいいの?」
「するわけねーだろ。だから呪いなんか解かなくても、俺の彼女になってくれ。俺が三笠の彼氏になりたい」
体をがっしりと抱きしめる腕に、熱い涙がぽたぽたと落ちていく。
佳乃だけではなく呪いまで受け止めてもらえることは幸せだ。
さらに佳乃が疎んじてきた呪いを最高だとさえ言ってのけるのだ。
そんなの、もっと好きになるに決まっている。
そのまま佳乃は伊達を見据えた。
「伊達くん。ごめんね、私は呪いを解かないよ」
「……この機会を逃したら、二度と呪いが解けないとしても?」
「いいの。だって私、教えてもらったから。この呪いはそんなに悪いものじゃないかもしれないって」
呪いのキスは嫌なものだとばかり思っていたのだ。そこに剣淵という一陣の風が吹いて、温度を変えていく。
振り返れば、好きな人と唇を重ねることのできる、なんて幸せな呪いなのだろう。
伊達は不機嫌そうに眉根を寄せながら佳乃を見つめ、しばらくしてから呆れたように長い息をついた。
「君への興味が失せた。もういいよ」
ひどく冷ややかな顔をして、伊達が佳乃に背を向ける。
「僕は、君が傷つき困り果てる姿が好きだったのに。いまの君は僕が求めているものじゃない。こんなもの、いらない」
伊達が歩き出す。去っていく姿を引き止めることはない。佳乃も剣淵も、何も語らずそれを見送っていた。
それから静寂の時間が流れ、伊達の気配が消えた頃。剣淵が思いだしたかのように顔をあげ、戸惑いながら佳乃に聞いた。
「ところでよ、伊達は何者なんだ。お前に呪いをかけただの解くだの、あいつは何なんだ?」
「うーん……『地球人には認識できない存在』とか『地球に留まる』とか言ってたけど、何者なんだろうね」
佳乃が答えた瞬間。水を打ったようにぴしりと剣淵の動きが止まった。
「そ、それって……つまり、」
「あの不思議な光の中に呼び出したりできたし、うーん、伊達くんって不思議だね」
「あいつは宇宙人で、あの光はやっぱりUFOとかそういうもの……クソッ、くだらねぇ喧嘩してないで色々聞きだせばよかった!」
剣淵のオカルト趣味が爆発し、瞳の色が好奇に輝く。先ほどの熱い告白からは一転して子供のような姿に、つい笑ってしまう。
そしてやはり思うのだ。こういうところも含めて、剣淵が好きなのだと。
伊達がどんな存在であろうとも構わない。伊達享は伊達享。もし宇宙人だったとしても、いまはこの呪いを与えてくれたことに感謝するだけ。
佳乃は剣淵の手を握りしめる。徐々に冷えていくあけぼの山の夜だというのにその手は温かかった。
「ねえ、剣淵――帰ろうよ」
「……おう」
「もちろん帰りは背負ってくれるんでしょ?」
「あ? 健康なやつは歩いて帰れ」
「えー。二回も背負ってもらったのに」
「くだらねーこと言うと置いてくぞ」
軽口を飛ばしながら、二人も歩き出す。心細くなってしまいそうな暗い山道で、手を繋ぎながら。ずっと、手を繋ぎながら。