うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
佳乃のスマートフォンに二件の連絡先が追加された。浮島と剣淵である。浮島は仕方ないとしても剣淵は嫌だと思ったのだが、浮島が放つ圧力に負けて交換してしまった。
ちらりと見れば嫌がっているのは剣淵もだった。不機嫌全開、ぴくぴくと震えるこめかみがそのまま破裂してしまいそうなほど。
「用件は済んだだろ、俺は帰る」
「ダーメ。次は――」
なにか言いかけようとしたたが、それはスマートフォンから流れた軽快な音楽によって遮られた。浮島の手中にあるスマートフォンが煌々と光っている。
浮島はスマートフォンを眺め、そして表情を一転させた。
「用事ができちゃった。続きは今度ね」
いきなり呼び出され、いきなり解散ときたものだ。
待ち望んでいた解放が嬉しい反面、その慌ただしさはまるで竜巻が通り過ぎていくかのよう。
「また呼び出すから。今度こそ、たっぷり遊ぼうね」
用事とは急ぎのものらしく、浮島はかばんを手にするとそそくさと教室を出て行った。
浮島と名付けられた竜巻が去って、残されたものは静寂。騒がしかった空き教室がしんと静かになる。
沈黙をやぶったのは剣淵だった。ガタンと机の揺れる音がする。浮島が去って目的もなくなり、帰ろうとしているのだろう。
佳乃を気にかけることも話すこともなく、いつも通り黙って去っていく。その背を目で追えば、なぜだろう、教室で見る時よりも隙だらけで近い気がした。
「待って」
佳乃が呼び止めると、剣淵の歩みが止まった。大人しく待ってくれたことに驚きながらも、このチャンスを逃すまいと話しかける。
下手な前置きをすれば剣淵は『うるせー』とでも言って逃げてしまうだろう。だから直球を放り込む。
「あの日、どうして私にキスをしたの?」
「またそれか……」
「大事なことなの! 私のことは好きじゃないんでしょ、なのにどうしてあんなことをしたの?」
階段での壁ドン事件に続き、二回目の質問である。逃げきれないと思ったのか剣淵は振り返った。
正面から剣淵に向き合うのは久しぶりのことだった。緊張を隠して平静を装い、返答をじっと待つ。すると剣淵は困ったようにため息をついた。
「……わからない。頭がおかしくなって、一つのことしか考えられなかった。それで気がつけばお前に――」
強面の顔を覆う大きな手のひら。指の隙間から苦しそうにゆがんだ表情が見えて、佳乃の胸が痛む。
きっかけを作ってしまったのは佳乃なのだ。嘘をついてしまったがためにキスをしてしまった。なぜ相手が伊達ではなく剣淵になってしまったのかはわからないが、この苦しみを与えたのは間違いなく佳乃だ。
長く呪いと付き合ってきた佳乃だが、いつもキスをされる側であり、呪いが発動した時のキスをする側については考えたことがなかった。わかるのは、人工呼吸でファーストキスを奪った先生は『佳乃が溺れたと思った』と言っていたことぐらい。豆腐や子猫については言葉が通じないためさっぱりわからない。
呪いが発動した瞬間はどうなるのだろう。その時、剣淵は何を考えていたのだろう。
気になっても聞くことはできなかった。剣淵が、ひどく傷ついた顔をしていたのだ。
「そんな顔……しないでよ……」
何も言えなくなる。でも傷ついたのは佳乃も同じなのだ。あのキスから佳乃の周辺は忙しなくぐるぐると巡って振り回してくる。
呪いを使わなければ。キスをしたのが剣淵ではなく伊達だったら。叶わないもしもを考えて、佳乃の視界が滲む。押し殺していた苦しみが、これ以上貯めこんでいられずに溢れでた。
「どうしてっ……あんたがキスをしたの……どうして剣淵なの……」
「……俺だってわかんねーよ」
「伊達くんだったらよかったのに……」
泣き出してしまいそうで、でも剣淵の前で泣きたくないと妙なプライドが邪魔をした。こぼれてしまいそうな涙をとどめて、しかし感情は抑えられずに口から漏れていく。
伊達の名を聞いた剣淵は首を傾げて考え込み、それから「……あいつか」と呟いた。
「お前、あいつが好きなのか?」
「片思いだけど、伊達くんが好きだったの。でも、あんたが私にキスしたのを伊達くんに見られちゃって……」
「……片思い? お前が?」
佳乃が頷くと、剣淵は「趣味悪ぃな」と眉を寄せた。そして顎に手を当てて俯き、ぼそぼそとひとり言を呟く。
「……だから、あいつ……あんな事言ったのか……?」
それは小さな声だったため、佳乃が聞き取ることはできなかった。
聞き返そうとしたところで剣淵が顔をあげる。
「まあ、なんだ……お前の恋路とやらを邪魔して悪かった――これでいいだろ? 俺が謝った、それで解決だ」
まさか剣淵が謝ってくるとは思わなかったが、うんざりとした顔で言うものだから誠意が感じられない。この場を切り抜けるための形だけの謝罪に見えて、苛立った佳乃は反射的に荒い語気で返す。
「よくない!」
「じゃあどう謝ればいいんだよ、めんどくせーな」
聞かれて、佳乃は考える。剣淵がどのように謝ってきたら、許すことができるのだろう。誠意を感じる謝罪かそれとも――あれこれと考えるうちに、封じたはずの悪いタヌキが首をもたげた。
その悪タヌキは『剣淵をうまく利用するのだ』と佳乃の耳元で囁く。だが反対側で菜乃花の姿をした天使が『悪いことをしたら罰が当たるわ』と佳乃を止める。
逡巡した挙句、佳乃は意地悪い笑みを浮かべた。
「協力して」
「……は?」
「キスの償いとして、私の恋を協力してほしいの」
呆気に取られていた剣淵だったが、時間をかけて反芻し、意味を理解したのだろう。叫びにも近い声量で佳乃を怒鳴りつけた。
「お前、ばかだろ!? 俺がんなことすると思うか?」
「キスしたのはあんたでしょ! はい協力して!」
「ふざけんじゃねーぞ!」
バン、と机を叩きつける音。だが佳乃も引かない。
「伊達くんに誤解されていたら困るから、それを解いてくれるだけでいいの! おねがい!」
「お前、正気か? 謝ったから終わりでいいじゃねーか。それにお前は俺のこと嫌いだろ 嫌いなやつに頼むとか頭おかしいのか」
「そうだよ。私、あんたのこと嫌い。だからただ謝って終わりにさせてやらない。私の片思いを手伝え!」
いまにも殴りかかってきそうなほど怒っているらしく、剣淵は肉食獣のように鋭く睨みつける。だが佳乃も引かない。負けじと睨み返した。
ぎゃあぎゃあと騒いでいた二人の視線がぶつかり合う。無言の攻撃が続き、そして――