うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
剣淵の家はテレビなどの音が出るものはなく、無言が重たく感じる。聞こえてくる洗濯乾燥機の音が支配し、居心地が悪い。気まずさを感じていると、同じく気まずいと思ったのだろう剣淵が言った。
「……悪かったな。せっかくのデートをぶち壊して」
「ううん、いいの。剣淵の言う通り、あのまま待っててもどこかへ行ける状態じゃなかったから」
「伊達には連絡したのか?」
「帰るね、って連絡したけど……まだ既読がついていないから、連絡の取れない状況になっているのかも」
そこまで話すと剣淵は「そうか」と答えて俯き、首に巻いたタオルで顔を拭った。
「きっと何かあったんだと思う。私に連絡もできないような、ちょっと大変なこととか」
「……そう、だな」
「だから今日はもういいの。きっとまた伊達くんとデートできるチャンスはあるはず」
デートが叶わなかったことは残念だが、待ち合わせに来なかった伊達に怒りや悲しみといった感情はなかった。こんなことをするはずの人ではないのだ、だから何かあったに違いないと伊達の身を案じている。
もしも剣淵に会っていなかったのなら、佳乃は駅前で待ち続けていただろう。外はまだ雨が降っている、それでも伊達がくると信じ続けていたはずだ。
「剣淵、ありがと」
口にするのはためらいがあったが、しかし素直な気持ちである。剣淵と会ってようやく自分の状況を知ることができたのだ。家に招き温かい飲み物や服まで貸してくれたのである。いくら剣淵のことが嫌いといえど、この優しさにちゃんとお礼を伝えたいと思った。
佳乃が言うと、剣淵は俯いていた顔をあげた。
そしてしばらく佳乃を見た後、そっけなく視線を背けて「おう」と小さな声で答えた。
「あと……ちょっと不思議なやり方だったけど、伊達くんの誤解も解いてくれてありがとう」
「そもそもあいつが誤解していたのかどうかすらわからねーけどな。でもあんなことは二度とやりたくねぇ」
「そうだろうねぇ。あれは前歯痛そうだった」
浮島作戦を思い出して、佳乃が笑う。
「浮島さんに『剣淵くん前歯欠けてるよ』とか『剣淵くんの必殺前歯』と、からかわれてな……最悪だ」
「ああ……浮島先輩、人をからかうの好きだもんね……」
「でもこれで解決だろ。誤解は解いた、お前はデートできそうなところまで距離を縮めた。それで終わりだ」
これで終わりだと宣言する剣淵に、なぜか寂しさを感じてしまう。それは、春から始まった慌ただしく嵐のような日々に慣れてしまったからかもしれない。自身の心に湧き上がる謎の感情に戸惑いながらも佳乃は頷いた。
「まあ、もうすぐ乾燥終わると思うから好きにしてろ。服が乾いたらさっさと帰れよ」
「うん、ありがと」
そう言うと剣淵は立ち上がった。そしてベッド横にある机に向かってしまう。どうやら勉強していたらしく机の上には教科書とノートが広がっていた。
剣淵が運動神経いいのは知っていたのだが、学力の方はというとまったくわからない。しかし外見や普段の生活からイメージをすれば、申し訳ないが勉強方面はよろしくなさそうに思えてしまう。
「……えっ。剣淵、勉強なんてするの?」
眼鏡の位置を直し、いざ勉強に戻ろうとした剣淵を、佳乃が引き止めた。剣淵が勉強するなんて、と小ばかにしているのがわかって、剣淵は振り返る。
「うるせーな。やんなきゃいけねーんだよ」
「え……なんか宿題出てたっけ? 急ぎの課題とかあった?」
「出てねーよ。これは予習だ、バカ」
「うわ……嘘でしょ……」
「お前、俺のことなんだと思ってんだ。俺だって勉強ぐらいする」
予習なんてするタイプではなさそうなのに。ショックを受けている佳乃を見て剣淵はため息をつき「いいから大人しくしてろ」と呟いて、再び机に向かった。