うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
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「なるほど。それで剣淵くんは来なかったのか」
事情説明はスムーズに行うことができた。剣淵が様々な種目で活躍していたおかげで、あれほど走り回っていたら疲れるだろう、と納得したようだ。
「代走が私でごめんね。運動神経悪いから、剣淵みたいに走れないと思う……けど」
「ううん。一緒に走ってくれてうれしいよ」
佳乃が走ることについて、伊達は嫌な顔一つせず、いつものように完璧な微笑みを浮かべていた。
いよいよ午後の部がはじまる。二人三脚出場者の列が動き出し、最初のレースを走る生徒たちがスタートラインに並んだ。
じっと見つめているだけで蕩けてしまいそうになる、甘くて美しい容姿。王子様と呼ぶのがふさわしい伊達と並んで走るのだ。先に走り出していく生徒たちを見ながら、まもなく佳乃もあのように走るのだと思えば、心臓が破裂してしまいそうなほど高鳴っていく。
「足、結んでもいい?」
ただ二人三脚の準備をするだけなのに、その言葉が妙に艶っぽく感じた。興奮して血気集う頬を隠すように頷くと、伊達が身を屈めた。
おずおずと伸びた指先が、佳乃の左足に触れた。足首のほんのわずかな場所に指が当たっただけで、恥ずかしさがこみあげてくる。靴下を履いているのにそれを忘れてしまいそうなほど、指先の動きを敏感に感じ取ろうとしていた。
露骨な反応はしたくないと平静を装っているのだが、緊張して体が強張ってしまう。そんな佳乃に気づいたのか、伊達が呟いた。
「なんだか、少し、恥ずかしいね」
屈んでいるために伊達の表情はわからなかったが、声音は照れくさそうにしていた。佳乃が抱いている気持ちと同じものを伊達も感じているのかもしれない。そう考えると嬉しくて、頬が熱くなっていくのがわかる。
「できたよ」
「あ、ありがとう……」
足元を見れば、紅色のハチマキが二人の足を繋いでいる。足を並べれば伊達のスニーカーは佳乃よりも大きく、隣に立つ肩の位置だって佳乃よりも高い。近づけば改めて伊達が男なのだと感じてしまう。
「最初は左足からでいいかな」
「左足だね、わかったよ」
「あとは掛け声に合わせて足を代えて――」
佳乃たちの前にいた生徒がスタートラインに立った。そして合図の音と共に走り出していく。
この夢のような二人三脚は剣淵のおかげである。校舎に戻っただろう剣淵もどこかで見ているだろうか。後でもう一度お礼を伝えなければ。
そこまで考えていた時、佳乃の肩に伊達が触れた。強く引き寄せるように肩を掴まれて、体がびくりと跳ねる。
「だ、伊達くん!?」
「もうすぐだから、三笠さんも僕の肩掴んで」
そう言ってすぐに「身長差があるから掴みやすいところでいいよ」と言い直して、伊達が前を向く。
こんなに近づいてしまえば、騒がしく急いた心臓の音も聞こえてしまうのではないかと思いながら、佳乃は伊達の服を掴んだ。
この距離だけで、伊達に触れているだけで、頭が真っ白になっていく。
前走者がゴールを切り、いよいよ出番という時――佳乃にだけ聞こえる声量で、伊達が呟いた。
「一緒に走るのが三笠さんでよかった。すごく、うれしい」
その言葉を噛み締める間を奪うように、ピストルの音が鼓膜を揺らす。スタートの合図に弾かれるようにして、佳乃と伊達が駆け出していく――つもりだったのだが。
「あ、あれれ……」
これだけ伊達の近くにいて心拍数も上昇し続け、蕩けきった思考だったのだ。踏み出した左足が、ぐにゃりと滑る。
「三笠さん!?」
スローモーションのように沈んでいく体。伊達の声が遠くに感じてしまう錯覚。運動神経の悪さをカバーするための気合なんて残っていなかったのだ。
三笠佳乃。一歩目から転倒する。