うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-

 伊達に二人三脚を誘われた時、互いの足を結んで走るなんて勘弁してくれと断ろうと思っていた。だがその時に浮かんだのは三笠佳乃のことである。伊達の誘いを承諾し、当日佳乃に変われば喜んでもらえるのではないかと思っていたのだ。

 剣淵が知る三笠佳乃はよく泣いている、もしくは驚いていたり困惑していたりととにかくいい表情ではない。だからたまには、こいつの笑顔が見れるのではないかと思ったのだ。

 体育祭の日。教室の窓から二人三脚を見ていた。二人が仲よさそうに話しているところも、佳乃が転ぶところも、伊達に抱き上げられて運んでいくところも、すべて。苛立ちはなかった。むしろ一歩目から転ぶ鈍さに苦笑し、これが究極の運動音痴というものかと学んだ程度だ。

 問題はその後である。あれほど派手に転んだのだから、もしかしたら怪我をしているのではないか。その考えに至った時、剣淵は立ち上がっていた。佳乃に二人三脚をさせたのは剣淵である。謝った方がいいかもしれない。責任を感じて、保健室に向かい――聞こえてしまったのだ。

『来週末、空いてるかな?』
『あ、空いてます!』
『前のデートの埋め合わせがしたいんだ』

 瞬間、ずきりと胸が痛んだ。時間や音は凍りついてしまったかのように消えて、遠くから甲高い耳鳴りが聞こえて頭を蝕んでいく。足元から這い上がった暗闇に包まれ、ひとりぼっちの空間に放たれていく感覚。そこは酸素もない孤独の場所だ、とにかく息苦しくて、苛立ちが沸く。


 剣淵が転校してきた日のことである。佳乃に呼び出されて階段踊り場で話していた時、あの男――伊達がやってきて剣淵に言ったのだ。

『二人の関係はわからないけど、女の子を泣かせる男はよくないと思うんだ。今日だけじゃない、昨日だってそうだ。君は突然やってきて三笠さんを泣かせた』

 そして伊達は剣淵に耳打ちをした。

『君に感謝しているよ』
『は? お前、いま何を――』

 その言葉に驚いて伊達を見れば、冷ややかな言葉が嘘のようにニコニコと笑顔を浮かべていて、これは聞き間違いなのだろうとその時は考えた。

「なんであいつ……気づかねーのかな」

 伊達は危険である。階段踊り場での言葉は聞き間違いではなく、うっかり触れてしまったあの男の本性だ。片思いをするような相手ではない。あれならばまだ浮島の方がマシだとさえ思える。

 伊達が、同性からみても男前な外見をしていることは認める。だが性格はどうだろう。上っ面だけは美しくみえるが、腹の底はどす黒く濁っているのではないか。それに気づくことなく騒ぐ女子たちに呆れるばかりだ。そこに佳乃も含まれているのだが。

「……二人三脚をあいつにやらせたのは、気づいてほしかった、のか?」

 その呟きは、思考を覆う分厚い雲にわずかな切れ間を作った。佳乃の笑顔が見たいだけでなく、伊達が危険な男であると知ってほしくて、わざと佳乃と伊達を近づけたのだ。自らがとった行動の理由に、剣淵は瞳を開く。

 一つの謎が解ければするすると、分厚い雲に光が差しこんで照らしていく。

「イライラすんのはあいつが気づかないからで、たぶん今日、あいつは――」

 剣淵は慌てて立ち上がり、先ほど放り投げたスマートフォンを掴む。
 日曜日、時刻は昼過ぎ。すべてが前回と一緒ならば、佳乃はいま駅前にいるのではないだろうか。

 ここまで考え込んでも、剣淵奏斗は怒っている。走りだしてしまえばもう止まらない。怒りが、剣淵の体を急かしているのだ。
 向かう先は駅前。そこに、きっとあいつがいる。
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