うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-

***

 デートの行き先は隣駅にある複合商業施設である。本来の予定では今頃映画を見ているはずだったが――

「上映時間になっちゃったね……ごめんね、僕が遅れてしまったから」

 すでに時間は過ぎていた。さらにお昼も食べ終えていないということで、隣駅に移動する前にお昼を食べることになった。イタリアンやラーメン、とんかつなど和洋中様々なレストランが並ぶ通りを歩いて、行き先を探す。

「待つのは平気だけど……メッセージ送っても既読がつかなかったから、伊達くんに何かあったのかなって心配だったの」
「急ぎの用事ができたから待ち合わせに遅れるって、連絡をいれようとしたんだけど――」

 そう言って伊達はポケットからスマートフォンを取り出す。画面は暗くなっていて、伊達がボタンを押しても電源が入らない。

「バッテリーが切れちゃったんだ。ごめんね、心配かけて」
「そう、なんだ……」
「今度から三笠さんの携帯番号を覚えておかなきゃだめだね。待たせてしまって、本当にごめん。お詫びに僕がごちそうするから」

 遅刻の理由を知り、佳乃は安堵の息をつく。伊達は真面目な男がこんなにも真剣に謝っているのだから疑う余地なんて一つもない。佳乃は頷いた。

 こうして伊達と会うことができて念願のデートなのだ。楽しまなければ。
 そうわかっているのに――うまく笑えない。口端がかたまってぎこちないものになる。デート前日にしていた笑顔の練習も、すっかり忘れてしまった。

 それもこれも、剣淵奏斗のせいである。どうして伊達を殴ったのだろう。佳乃の好きな人が伊達であることを知っているし、体育祭でも協力してくれていたのに。

 剣淵と伊達の仲が悪いとは思えなかった。二人が仲良く話しているところは見たことがないが、二人三脚のパートナーになるぐらいである。もしも二人の仲が悪いのだとしたら、伊達が二人三脚に誘うことも、剣淵が承諾することもなかったのではないか。

 確かに剣淵は荒っぽいところがある。名も告げずに教室に押し入ってきて佳乃にキスをしたり、階段踊り場に呼び出せば壁に追いつめてきたり、机の上に両足をのせていたこともあれば、苛立って椅子を蹴っていた時もある。そんな男なのだから、ちょっとした言い争いで手が出てしまう場面は容易く想像できる。

 佳乃にはわからない諍いが起きて、剣淵が伊達を殴った。そう納得しているはずなのに――何かが引っかかる。

「三笠さん?」

 名を呼ばれて顔をあげれば、数歩先のところで伊達が振り返ってこちらを見ていた。知らずのうちに佳乃は立ち止まっていたらしい。
 慌てて歩き出そうとしたところで、伊達が苦々しい顔をして聞いた。

「どうしたの? なにか考えごと?」
「え、っと……」

 剣淵のことを考えていたとは言えず、しかしごまかせば嘘をついてしまう。佳乃は口ごもって、顔をそらした。

 そう。剣淵のことを考えている。

 デートを楽しもうとしても、剣淵のことが気になって仕方がないのだ。

 体育祭で怒らせ、それからずっと遠ざけられていた相手である。ここまで剣淵のことを考える必要はない。そうわかっているのに、どうしても頭から離れない。伊達を殴ったのに、剣淵の方が傷ついた顔をしていた気がするのだ。

 どうしてあの場所にいたのだろう。服や髪を濡らしてまで、どうして――

「伊達くん……ごめん」

 近づこうとしていた歩みを止めて、佳乃が呟く。

「やっぱり、私、帰るね。用事を思い出しちゃった」

 こんな気持ちのままでデートなんてできるわけがない。佳乃が決断を告げると、伊達は目を丸くし、それから諦めたように息をついた。

「用事なら止めないけど……もしかして、剣淵くんのところに行くのかな?」
「そ、それは……」

 伊達が歩み寄る。そして佳乃の腕をぐいと掴んだ。

「教えてくれないと帰せない。ねえ、用事って剣淵くんのこと?」

 逃がさないとばかりに腕を掴まれ、さらに真剣なまなざしが佳乃に注がれている。あの穏やかな微笑みのプリンスが、真剣な顔をして迫っているのだ。佳乃にとってあこがれの、片思いの人である。こんなに距離が縮まり腕を掴まれてしまえば、あっという間に鼓動が急いていく。

「わ、私は……」

 剣淵のところに行く、といえば真実である。だがそれは片思いの相手である伊達に誤解を植え付けることになってしまう。三笠佳乃は伊達よりも剣淵を選んだのだと思われても仕方ない。

 だが剣淵のところに行かないと答えれば、それは嘘である。すなわち、呪いが発動するのだ。

 嘘をつくか、真実を告げるか。至近距離に伊達が迫り追い詰められていく。長考する時間なんてない。

「剣淵のところに――っ!」


 言いかけたところで影が覆いかぶさる。

 焼けつくような熱が、唇に押しつけられた。柔らかく、蕩けてしまう危険なもの。
 視界をひとりじめするこの男は伊達享で、あれほど求めていたキスが実現しているのに、このゼロ距離に気をとられて、キスの味なんてさっぱり伝わってこない。

 ただ、甘い香りがするのだ。あれほど焦れていた伊達の香り。ノートを借りた時よりも濃く香って、伊達に包まれているようだ。

 さらさらと音を立てて揺れる髪。伏せた瞼から覗く睫毛は長くて、左目の下のほくろもはっきりと見える。

 佳乃の言葉を遮るようにかぶせた唇は、その後も離れることなく、角度を変えて佳乃の唇をついばんでいく。柔らかなものが触れ合うことで、この時間に酔ってしまいそうな熱を生む。

「……ごめん、キスしたくなった」

 唇が離れた後、伊達はそう言った。顔にはほんのりと赤みがさし、恥ずかしそうに佳乃から目をそらしている。

「あ、あの……どうして……」
「三笠さんが剣淵くんのことを考えて上の空だったから、悔しくて……だってこれは僕と三笠さんのデートだから」

 興奮と恥ずかしさでくらくらと視界が揺れる。体の力が抜けて、佳乃はへにゃりと床に座りこんだ。

「このキスで許してあげる。今日のデートはこれでおしまい」

 赤らんだ顔を見られたくないかのように佳乃に背を向け、伊達は去っていく。

 佳乃はというとその姿が遠ざかっても、しばらく立ち上がることができないでいた。

 片思いしてきた人とのキス。それも相手から、だ。こんなにも喜ばしいことはない。先ほどの接触を信じられず、まだ手足が震えている。
 だというのに、体の奥深くにあるものが凍てついている。佳乃の体を二つにわけて、興奮とは逆の感情を持ち合わせているかのように。

「わ、私……剣淵のところに、行く、のに」

 凍てついた身が思い浮かべるのは伊達ではなく剣淵である。あの傷ついた姿を思い出して、いますぐ向かえと佳乃を急かすのだ。

 好きな人とキスをして他の男に会いにいく。最低な人間だと佳乃も自覚している。だからこのキスを剣淵に知られたくなかった。ゆるゆると立ち上がる佳乃の顔はまだ熱く、まだ赤く染まっているのだろうと想像がつく。これから剣淵のところへ向かう間に、熱はおさまるだろうか。

 向かう先は剣淵の家。手にした傘をさすことも忘れて、雨の中を駆けていく。
 三笠佳乃の日曜日は、まだ終わらない。
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