うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-
いつの間にか二人は移動していて、扉の隙間から剣淵と女性らしきスカートとそこから伸びる足が見えるようになっていた。
「帰らねーよ。あんなとこ、いてたまるか」
「ここにいても、あたしは構わないけど。どうせ使っていない部屋だし」
不意に飛び交う剣淵の家族についての話に、聞いてはいけないと思いながらつい耳をそばだててしまう。
「でも。いい加減、兄貴に会ってあげたら? カナトと話がしたいって言ってたよ」
この会話で確信する。やはりこの女性は剣淵の家族だ。頭の上がらない様子をみるに、姉だろうか。
剣淵はあまりこの話をしたくないらしく、女性が部屋にきた時よりも機嫌を悪くしていた。隙間から覗く剣淵の眉間には深いしわがいくつも寄り集まっている。
「会わねーよ。んなヒマねえな」
「せめて電話ぐらい出ればいいのに。着信拒否なんて子供みたいなこと――――あら?」
そこでぴたりと女性の声が止まった。もしや気づかれたのか。佳乃は咄嗟に自らの口を塞ぎ、息を止める。覗き見ていることもいけない気がして、扉から身を離した。
「あー、そういうことね」
女性の声音は一転。急に明るく、陽気なものになる。
おそるおそる扉の隙間から覗いてみれば、女性の視線はテーブルに向けられているようだった。こちらからでは後ろ姿しかわからないのだが、薄紅色のマニキュアで彩られた爪がテーブルをこつこつと叩いている。
「なんだよ?」
女性が何に気づいたのか剣淵もわからないらしく、眉根を寄せてむすっとしたまま聞く。
「別に。それよりもさ、カナトは今年の夏も恒例行事やるの? 例の、UFO探し」
「お、おい! いまその話をしなくても――」
「あら。毎年、夏に探してたでしょ。変な宇宙人だのUFOだの気持ち悪いやつを調べて、探し回って。確か、女の子がキャトルミューされたんだっけ?」
けたけた、と転がるように女性が笑っている。いまこの会話をされたくないらしい剣淵が赤くなったり青くなったりと動揺しているのを楽しんでいるようだ。
「ちげーよ、キャトルミューティレーション! あとそれ意味違う、誘拐されんのはアブダクションだ」
オカルトオタクとしてのスイッチが入ったのか、テーブルを力強く叩いて語気荒く剣淵が返す。だが女性はその反応に動じず、やはり笑うばかりだった。
「これを毎年探してるなんて、ほんと、男って何歳になっても子供ねぇ。カナトったら、小学校の卒業文集に『将来の夢は宇宙人とコンタクトをする』なんて書いてたもんねぇ」
「くだらねー話しにきたんなら、帰れ! 用件は済んだだろ!」
「やだー、こわーい」
剣淵は、怒りと照れで顔を赤くしながら、困ったように頭を掻きむしっている。
これ以上からかっても楽しくないと判断したのか、女性はすくりと立ち上がった。
「カナトにも嫌われたし、今日はこのぐらいにして帰ろうかな」
「頼むから早く帰ってくれ……余計なことしゃべんな」
「はいはい。いやね、年頃の男の子ってめんどくさーい」
そして二人は玄関へと歩いていく。もう隙間から二人の姿を覗き見ることはできず、佳乃は扉から離れて、安堵の息と共に肩の力を抜く。このまま帰るのだろう、と思っていた時だった。
「ところで……カノジョを家に連れ込むなら、まともな飲み物ぐらい用意しなさいよ」
再び聞こえてきた言葉に、佳乃の体がぴくりと跳ねて、そのまま固まる。
ここからはわからないが、きっと剣淵も言葉を失っているのではないか。続けて聞こえてきたのも女性の声だった。
「ごめんねぇ、弟がバカで。次はコーヒー用意しておくから」
今度は剣淵に対してではなく、佳乃に向けて言ったのだろう。部屋に響かせるように声を張り、剣淵へ向けたものとは異なる余所行きの口調で告げている。
この部屋に誰かがいると気づいているのだ。心臓が早鐘を打ち、佳乃は両手で口を塞いで気配を消そうとした。
「じゃ。これで帰るから。カノジョちゃん、カナトをよろしくねー」
「お、おい……姉貴、なに言って――」
慌てる剣淵の声を掻き消すようにして、扉の閉まる音が聞こえる。
女性――剣淵の姉は帰ったのだ。それでもこの目で見るまでは信じられず、まだ心臓がばくばくとうるさく鳴っている。