裏通りランコントル
ただ、途方もなく憂鬱になる瞬間がある。
声を発するのも顔を見るのも、些細な生活音を聞くことも、どうしようもなく嫌になる。
例えばそう、深い海の中。
静かな暗い孤独の中では、哀しい水の音と言葉を発しない魚がいる。魚はわたしのことを気にしないし、構ってと寄り添ってくることもない。
わたしはそういう距離感が時々欲しくなる。
だけどそう簡単に海の中には入れないし、だからこうやって街を歩く。
わたしのことを誰も知らない、干渉しない。
いい距離感ですれ違う人々。
決して独りではないけれど、1人なのだ。
「あの」
ああ、そうだな。
街の図書館にでも行こうか。
独りではなく1人で、静かで、現実で限りなく海に近い場所であるような気がする。
そうだ。時間が止まればいい。
あの時間にアレをしなくちゃ、とか。この時間はコレをしなきゃ、とか。
そういう多くの決まりごとの中で人間は生きている。
それを集団と言った。
だけどその雁字搦めにどうも息が詰まるから、もっと自由に生きていたい。
そう思うのは、わたしがまだ子どもだからだろうか。それともこの境遇のせいなのだろうか。