裏通りランコントル
「……甘いな」
湯気の隙間から覗くマグカップを持つその姿は、着物とミスマッチな気がするのに。
さらりと流れる黒髪。
長い前髪から見えるふせられた瞳。
きっと長いであろうまつげ。
そのすべてで何もかもが許されてしまいそう。
「エン」
彼は突然そう言った。
先程までふせられていた瞳が、わたしを射抜くような瞳に変わる。
コトリ、と。
マグカップをテーブルに置く音が響く。
「俺の名前だ」
今更言うのもなんだが、と前置きをして。
確かになぜこのタイミングで、唐突に名乗ったのか。
このひとの思考を理解するのはなんとも難しい。
多分、このひとは、何も考えていない。
いや、もしかしたら何かもっと複雑で、ややこしくてたくさんの交差する思いがあるのかもしれない。
わからない。捉えようのない、掴みどころがないひと。
そんな着物の彼。――エン。
着物の彼、という呼び方から。
エン。
そう呼ぶようになった瞬間。