恋じゃない愛じゃない
これには驚いた。

彼の今までの反応から、もうちょっと言い淀んだり戸惑ったりすると思ったのに、ましてや嫌いとまで言われた相手に、そんなはっきり言えるなんて、こっちが反応に困る。

そうなんだぁ、軽くと返したものの上手く笑えている気がしない。

「はい」

陽央くんも、その一言だけ。

それからわたしたちは会話をしないで飲みに徹した。


「さて、これからどうしようか」

飲み物が底をついたのでわたしは口を開く。

まだこの店では一杯目だったが、お酒が飲みなれていない陽央くんにはあまり飲ませたくなかった。

「どうしましょう……」

「陽央くんち、行っていい?」

「それはちょっと」

「もしかして実家?」

「いえ、こころのじゅんびが」

「そう」

心の準備、ね。

「すみません」

会計で陽央くんは茶色い革の財布を取り出し、全部払おうとしたので、いいよ、と言って自分の飲んだ分は自分で払う。

バーを出る。

後ろをさも当然のようについてくる彼のほうを体ごと大きく振り向く。

「なんでも言うこと聞いてくれるんだよね?」

陽央くんは、こくりと頷いた。

ホテルの前にして理解した瞬間、彼の顔が、それは面白いくらいに一瞬で染まり、耳まで赤くなっている。肌が白い分、赤くなるのがよくわかった。

固まったまま動かない彼を、行くよ、と促す。

すると彼は引っ張られた手で、わたしのコートの裾を掴んで、くん、と引っ張る。まるで小さい子供のようだ。

狭いエレベーター。密室になる。しかし、なんの危機感も感じない。

裾をちょこんと掴んだまま、陽央くんは階数を見上げている。エレベーターは、ふわっと浮いた感覚があったあとすぐに停止した。ポーンという合図の音が鳴って、ゆっくり扉が開く。

部屋に入ると、ドアの横の清算機が前払いだとわかり、陽央くんは財布を取り出す。
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