恋じゃない愛じゃない
お腹がふくれ、満足し、一息ついて、ふと見ると、どうやら彼も今日駆り出されたらしい。斜め向かいの陽央くんが、皿の隅にたくさんの唐辛子をよけている。

わたしたちの皿には1本も唐辛子を入れなかった。彼の皿にだけ、全部の唐辛子を混ぜてやったのだ。

しかし、きのこパスタはお情けで箸で食べた。

なのでみんな、蕎麦を食べるみたいに啜って食べた。スープが絡んだまま口に入るし、ぐいぐい食べられて案外悪くなかった。唐辛子もよけやすかっただろう。


「安田さん」

帰り際、外で、後ろから声を掛けられ、振り返りつつ視線を上げると、まずキスの上手そうな唇が真っ先に気を引いた。

その唇と、目が合った瞬間に、わたしは全てを思い出す。そんなに上手くなかったな、ぎこちなくて、たどたどしくて、でも、一生懸命だったな。

彼は愛想のいいウェイトレスみたいにニコッと可愛く微笑んだ。

「なあに陽央くん」

「パスタご馳走さまでした。とっても、美味しかったです」

「うん」

「この間は、あ、あ、ありがとうございました。あと、ごめんなさい」

猫の目のようにころころと変わる彼の表情を見ていると、本当に飽きないし、面白い。

正直あの出来事は、もうお互いなかったことにしよう、みたいになっていると思っていた。何事もなかったみたいに仕事仲間として、普通に過ごして、あれから季節がひとつ終わり、新しい季節が始まろうとしている。

しかし、終わらなかった、終わってなかった……、かもしれない。

「うんうん大丈夫だよ。わたしのほうこそごめんね、無理に誘ったりして」

猫じゃなく犬っぽいことも思い出した。

「あっ、いえ、僕は嬉かったです、安田さんと、その……いろいろ出来て、……あの、突然なんですけど、もしよかったら今度、一緒に食事へ行きませんか」

「うーん……」

「お話ししたいことがあるんです」

「……うん、いいよ。あのね、12日は朝から歯医者行くから休みなの。その日なら、いい」

夜ね、と付け加える。

「はい、わかりましたっ。ありがとうございます!」

見えない尻尾がブンブン振られていた。

約束しちゃったよ、話ってなんだろう、あまりややこしいのじゃなければいいな、と思う。

「陽央くん」

「はい」

「コンビニでコーヒーでも買おうか、なんか急に飲みたくなっちゃった、付き合って。奢るよ」

「わっ、僕、安田さんにおごられるの、だーい好き」

夜空に星屑を散らしたように輝く瞳。目をうるうるさせて感極まったように言う。

ああ、この目、どこかで見たことあるとずっと考えていた、いまわかった。

時々出勤途中に散歩で出会す柴犬みたい。栗毛のモフモフ。

「ここから一番近いのだとセブンかな?」わたしたちはコンビニに向かって歩いていく。

途中に公園があって、ブランコには誰かが座って、なにか喋っている。カップルだと思う。

「あそこのブランコ、わりといつも人いますね。いつでも」

陽央くんは公園の入り口で、少しの間、物欲しげにブランコを見つめていた。
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