恋じゃない愛じゃない
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わたしの居場所は繁華街の中にあった。
1階には小さな小料理屋があって、その上の2階の6畳ワンルームに、いまのわたしの全て詰まっている。
住んでいる場所から、2軒先の中華料理屋の屋上にある大型室外機が少しおかしいらしく、時々変な音を撒き散らしていた。
店の人たちは店内にいるから、全くわからないようだ。
また同じく、食肉卸売業者の作業所の、業務用の巨大冷蔵庫と冷凍庫の音も結構響く。
しかし、人の話し声が一番うるさく感じる。
繁華街のど真ん中、宴会場もあるすし屋、カラオケスナック、反対隣の2階が歯医者、その隣は牛乳屋だった。
すし屋の宴会が終わった客がずっと店の前でたむろして、大声で話しているのはもう本当にうるさいし、カラオケスナックは防音してあるようだが、換気扇から歌声が聴こえるし、歯医者からはあの機械音と子供の絶叫が聞こえ、牛乳屋からは午前3時にはビンがぶつかる音が聞こえるのだ。
人の話し声が一番よく聞こえ、音は上に上がってくる。
以前は踏み切りの前に住んでいたが、踏み切りの音より、電車の音より、踏み切り前で喋る人の声がうるさく感じる。これは本当に意外だった。
全ての窓を閉め切っている季節や時間は案外短いもの。内覧のときは全て閉めているが、でも現実は風呂の窓を細く開けて換気をしていたり、換気孔が開いていたりする。
具合が悪いときも、頭が痛いときも、店は営業している。
よって、外からの人の気配と物音で、うとうととした浅い眠りから目が覚めた。スマホの時計を見る。表示は午前9時前。
布団から身を起こすと、けばけばしいくらいカラフルなカーテンが目に飛び込んでくる。その柄はまるで、小学生の図工の時間でやった、水で薄めた絵の具を画用紙の上に滴らし、水滴をストローで吹く、あれ、に似ている。色んな方向から吹いて、色んな色を滴らして、色を混ぜてみたりする、あれ。
一間を、生活空間と寝室に分けるためのそれは、本来はシャワーカーテンとして売られていた薄いビニール素材のものだ。
フローリングの床にぺたりと足裏を着けた。カーテンの隙間を留めたクリップを外し、隣の部屋へ出て行く。
元々ここは下の小料理屋の人が住居として使っていたから家賃 3万という格安であり、ユニットバスじゃないのも嬉しい。
座椅子の背に掛けられた上着、小さなローテーブルの上に置いた郵便物、床に置いたバッグ、仕事から帰ってくることを繰り返していくと、いつのまにか汚部屋と化し、毎晩、服の海の中で眠っていたのでカーテンを付けて寝る場所を確保していたが、起き抜け一番に見るのがこれだと気分も晴れない。
最近は山まで出来た。
それらから目を背け、台所へ。10年もののお古の冷蔵庫からブゥーンという振動を伴った音が響く。
ホットケーキ、お店で焼きました、当店オリジナル! という本格的なものも好きだが、一番好きなのは冷凍のちょっと固いホットケーキ。家でも、粉から混ぜて焼いたものよりは、冷凍のホットケーキが美味しく感じる、少しの懐かしさも。
幼い頃、あの人、母親によく動物園へ連れて行ってもらった。
動物園といっても、有名どころではなく、 入場料が小学生なら無料で、地元民に愛される小さな動物園だった。ゾウやキリンがいなくても、フクロウやオウム、ダチョウなどの鳥類、うさぎ、馬もいた。豚もいたが目付きが殺し屋、いや実際会ったことはないけれど、そんな目をしていた。
撫でると脂肪でなく、筋肉の塊というのがわかって、怖くなり、たぶん園内最強はダチョウでも馬でもなく、この豚だと思ったのだ。
そして、園内にある喫茶店であの人はコーヒーを飲んで本を読み、わたしは放り出され、放任主義、いま考えるといくら小規模の園内とはいえ、子供ひとり放置し、ちょっと危機感のない親だった。