恋じゃない愛じゃない
しばらくして、紅茶が運ばれて来ると、店員の頭が、観葉植物の上からひょっこり出てきたのでわたしは体をさらに屈めた。

まだ探偵気分に浸っていたいのと、この姿を誰かに見つかるのは少し恥ずかしい。しかし、見つからないように必死で、観察対象の話の内容を聞き漏らすようでは探偵失格だ。

「上の子たちは知っていてなにも言いません、なんだかんだで父親を尊敬しているようですし。下の子も、もう9歳になります。親がコソコソなにかやっていることも気付き始めているでしょう」

「つまり?」

「なにも月の振り込みを止めるとは言いません、そういうお約束ですし。でもあなた、そのほかにお金を無心してますよね? 2人きりで会っているのも知っています。過ぎたことにあれこれ言うつもりはないので、つまり、用件だけ伝えると、今後一切うちの人に近付かないでほしいの」

そして、女の人の声と、なにかがガサガサいうのが聞こえてくる。

「中、見てもいいですか?」

「ええ、もちろん。いいですよ」

なにかが女の人からあの人へ渡り、またガサガサという音がする。それと同時に、「わぁ」というあの人の声。

あの人の丸い背中でよく見えなかったけれど、いままでの2人の会話内容から、お金がなんらかのかたちで渡されたことがわかった。
しばらく黙っていた女の人が、口を開いた。

「たりなかったですか?」

「え、いえいえ! 十分過ぎるくらいですよぉ。いつもの何倍だろう……本当にこんなに貰っちゃっていいんですか?」

「これで最後ですから。ああ、条件というか、それは私のプライベートのものですから主人にはなにも言わないでくださいね」

「はぁい、わかりました」

女の人は少しムッとしたかもしれない。

「あの、最後にひとつだけいいですか?」余計なことを言うのはあの人の昔からの癖だった。

「なんでしょう?」

「あのぉ、余計なお世話かもしれないし、わたしが言えることじゃないんですけど……」

「なんですか?」

もう一度女の人が聞く。

わたしも神経を集中させる。胸が、小鳥のようにバタバタしだす。

心臓が確かな鼓動を繰り返し、意識を集中させると、内部から音が聞こえてくるようだ。

自分の音と、2人がいるテーブルの後ろにお客が入って、さっきより2人の話し声が聞きづらい。

「ヒロシさんからは、『あいつ(妻)はいざとなったらどんな手段も使うよ』なんて言われてたから、ちょっと今日身構えてたんです。ちょっとだけ。裁判、とか言い出されたらどうしようって。でも一安心しました。わたしも心配だったんですよねえ、奥様はわたしがヒロシさんを離そうとしないって思われているかもしれないですけど、ヒロシさんのほうがわたしに夢中だったから。最初は次第に冷めるだろうと思ってたのにまさかこんなかたちになるなんて、びっくり」

徐々に饒舌になる口調、最後に、フフ、と笑い声を漏らしたあの人。

女の人が急にガタッと立ち上がった。

びっくりして、心臓が激しく跳ね躍る。見つかったらどうしようと、焦る間もなく、女の人は肩をブルブル震わせ、「なんであなたなんかに!」

かなり大きな震えた声が店内に響き、女の人はテーブルにあった封筒のようなものを掴むと、すごい勢いで、あの人に向かってそれを投げつけたのだ。

「きゃあ!」

あの人のか細い悲鳴と周りに散らばる1万円札、2人のテーブルに目を奪われているお客に店員。そして、わたしも。

わたしはゆっくり立ち上がる。しかし、そのあまりの光景にどうしていいかわからずに、その場に立ち尽くした。

わたしの足元まで飛んできたお札。

探偵の時間はもう終わっていた。
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