恋じゃない愛じゃない
「……だれ?」
陽央くんの瞳が大きく1回、ぱちくりとまばたきをする。
「何者かって聞いてるの」
しかし、さらに2回3回、まばたきの回数が増えるばかりだった。やはり質問の内容が抽象しすぎるだろうか。そう思ったとき、彼の唇が動く。
「僕は、内金崎陽央です」
「え、うん……」
「『UKSグループ』って言えばわかります? 僕、そこの息子なんですよね」
しれっとした様子で告げる彼。しかし……『UKSグループ』といえば、資産管理組織として有名だ。関連企業は、数十兆円あまりの資産を持つ、日本金融界の最大手であり、日本に留まらず、世界でも常にトップスリー内には名を連ねている◯◯リーディング銀行から、◯◯ガス、◯◯ホテル、ビール、保険、建設工業、電鉄、自動車まである。
「……本当の話?」
「信じるか信じないかは安田さんの自由ですけど、本当です」
意外と周りにはバレないですよ、と陽央くんは言ったけれど、そりゃそうだ。
「それだけの財産や社会的地位のある家に生まれた男子が、あんな大衆的なレストランでバイトしてるとは思わないもん」
「まあ僕はスペアの次男より下の、残りカスの三男ですから自由にさせてもらえてるんです」
「そんな言い方……」
「うちの父は、『本当にやりたいことをやれ。わたしのおとうとは働きづめ末、若くして死んだ。あんなの不幸だ』っていつも言ってるんです」
「いいお父さんだね」
陽央くんは美しく弧を描く綺麗な眉毛をほんの少しだけ下げて困ったように笑うだけだった。
あのレストランでウェイターをしたり、こうしてわたしなんかと一緒にいることも、陽央くんの、“やりたい”ことなのだろうか。わたしにはわからない。
そうこう考えているうちにギャルソンが再び来たので食事をしなければいけない。
ナフキンは、膝の上へ。
テーブルに、右左、上にまで何本もあるナイフとフォークとスプーン。シルバーは外側から使えばいいと思っていたが、ここではメニューによって、シルバーが複雑に置いてあるようで、どこから使えば、と焦りながらも、陽央くんがマナーのお手本のようだったので、彼が使うシルバーをそっと見て、さりげなく同じシルバーを使う。
テリーヌ、エスカルゴ、キャビア……くらいまではわかったがあとはよく知らない料理が続く。ジュレのようなコンソメスープをゼリーで固めてたものを、飲むというより食べる。
お酒が弱く、ビールを初めて飲んでその苦さに驚いていたのに、ワインリストに載っていたヴィンテージ、ワイン名、生産者と一致しているかどうかの確認作業のあと、「格式がありますね」「高級感がありますね」と、ラベルデザインの感想を言ったり、ワインを注いだグラスに白いナフキンをかざして色や輝き、透明度をチェックし、そのワインについてのストーリーをソムリエが話してくれるのを聞き、余裕すら感じられる陽央くんは、別世界のまるで知らない人のように思えた。
ようやく見知った食材の、パンが出てくると、わたしはそのまま、口に持っていき、かじりつこうとした。
「安田さん!」
あまりに鋭い声に、わたしはぎくっと飛び上がりそうになり、手を止める。
「パンをちぎらずにそのままかじりついたり、大きくちぎったパンを歯で噛み切ったりしてはいけません。こうやって一口にして料理のソースを、……でも一番食べてる!って感じがするのはこうですよね」
陽央くんは、手に持っていたパンにぱくんと豪快にかじりついて、あぐあぐと食べ進めていく。
わたしは一瞬の間を置いて、吹き出してしまう。それから2人で笑い合い、くだけた雰囲気に包まれる。
「……そういえば、お母様とのこと、どうなりましたか?」
正直、触れてほしくないことではあったけれど、陽央くんの表情から本当に心配してくれていたことがわかるし、この場のいい雰囲気を保つ為にぽつりぽつり話し出す。
「……実は陽央くんに愚痴ってからそんな経たないくらいに電話あったんだよね」
「そうなんですか」
「電話口で、ごめんねごめんね、って弱々しい声で何回も謝られたら、陽央くんに言っても上手く伝わらないけど、まあ、あんな母親でもさ、」
「捨てられない?」
と聞こえた。音量は変わらないのに、身を刺すような冷たい声。
「え……?」わたしは思わず声を漏らした。
「“パンくず”はそのままに。“捨てられない”んですよ。ちぎるときに出てしまうパンくずは当たり前ですから、テーブルの上に落ちたものを手で払ってしまったり、下に落としたりするのは駄目なんです」
「……あ、うん、わかった」
ちょっとびっくりした。母親のことを言われたと思ったから。
気をつけるね。と言って、それからは順調に食事を続けた。
陽央くんの瞳が大きく1回、ぱちくりとまばたきをする。
「何者かって聞いてるの」
しかし、さらに2回3回、まばたきの回数が増えるばかりだった。やはり質問の内容が抽象しすぎるだろうか。そう思ったとき、彼の唇が動く。
「僕は、内金崎陽央です」
「え、うん……」
「『UKSグループ』って言えばわかります? 僕、そこの息子なんですよね」
しれっとした様子で告げる彼。しかし……『UKSグループ』といえば、資産管理組織として有名だ。関連企業は、数十兆円あまりの資産を持つ、日本金融界の最大手であり、日本に留まらず、世界でも常にトップスリー内には名を連ねている◯◯リーディング銀行から、◯◯ガス、◯◯ホテル、ビール、保険、建設工業、電鉄、自動車まである。
「……本当の話?」
「信じるか信じないかは安田さんの自由ですけど、本当です」
意外と周りにはバレないですよ、と陽央くんは言ったけれど、そりゃそうだ。
「それだけの財産や社会的地位のある家に生まれた男子が、あんな大衆的なレストランでバイトしてるとは思わないもん」
「まあ僕はスペアの次男より下の、残りカスの三男ですから自由にさせてもらえてるんです」
「そんな言い方……」
「うちの父は、『本当にやりたいことをやれ。わたしのおとうとは働きづめ末、若くして死んだ。あんなの不幸だ』っていつも言ってるんです」
「いいお父さんだね」
陽央くんは美しく弧を描く綺麗な眉毛をほんの少しだけ下げて困ったように笑うだけだった。
あのレストランでウェイターをしたり、こうしてわたしなんかと一緒にいることも、陽央くんの、“やりたい”ことなのだろうか。わたしにはわからない。
そうこう考えているうちにギャルソンが再び来たので食事をしなければいけない。
ナフキンは、膝の上へ。
テーブルに、右左、上にまで何本もあるナイフとフォークとスプーン。シルバーは外側から使えばいいと思っていたが、ここではメニューによって、シルバーが複雑に置いてあるようで、どこから使えば、と焦りながらも、陽央くんがマナーのお手本のようだったので、彼が使うシルバーをそっと見て、さりげなく同じシルバーを使う。
テリーヌ、エスカルゴ、キャビア……くらいまではわかったがあとはよく知らない料理が続く。ジュレのようなコンソメスープをゼリーで固めてたものを、飲むというより食べる。
お酒が弱く、ビールを初めて飲んでその苦さに驚いていたのに、ワインリストに載っていたヴィンテージ、ワイン名、生産者と一致しているかどうかの確認作業のあと、「格式がありますね」「高級感がありますね」と、ラベルデザインの感想を言ったり、ワインを注いだグラスに白いナフキンをかざして色や輝き、透明度をチェックし、そのワインについてのストーリーをソムリエが話してくれるのを聞き、余裕すら感じられる陽央くんは、別世界のまるで知らない人のように思えた。
ようやく見知った食材の、パンが出てくると、わたしはそのまま、口に持っていき、かじりつこうとした。
「安田さん!」
あまりに鋭い声に、わたしはぎくっと飛び上がりそうになり、手を止める。
「パンをちぎらずにそのままかじりついたり、大きくちぎったパンを歯で噛み切ったりしてはいけません。こうやって一口にして料理のソースを、……でも一番食べてる!って感じがするのはこうですよね」
陽央くんは、手に持っていたパンにぱくんと豪快にかじりついて、あぐあぐと食べ進めていく。
わたしは一瞬の間を置いて、吹き出してしまう。それから2人で笑い合い、くだけた雰囲気に包まれる。
「……そういえば、お母様とのこと、どうなりましたか?」
正直、触れてほしくないことではあったけれど、陽央くんの表情から本当に心配してくれていたことがわかるし、この場のいい雰囲気を保つ為にぽつりぽつり話し出す。
「……実は陽央くんに愚痴ってからそんな経たないくらいに電話あったんだよね」
「そうなんですか」
「電話口で、ごめんねごめんね、って弱々しい声で何回も謝られたら、陽央くんに言っても上手く伝わらないけど、まあ、あんな母親でもさ、」
「捨てられない?」
と聞こえた。音量は変わらないのに、身を刺すような冷たい声。
「え……?」わたしは思わず声を漏らした。
「“パンくず”はそのままに。“捨てられない”んですよ。ちぎるときに出てしまうパンくずは当たり前ですから、テーブルの上に落ちたものを手で払ってしまったり、下に落としたりするのは駄目なんです」
「……あ、うん、わかった」
ちょっとびっくりした。母親のことを言われたと思ったから。
気をつけるね。と言って、それからは順調に食事を続けた。