恋じゃない愛じゃない
と気をとられている場合じゃない。時間は限られているのだから。テーブルにつく。今日のまかないはホットサンド。トマトとハムと玉子の相性抜群、マヨネーズに粒マスタードが癖になる人気の1品。

勢いよくかぶりついた瞬間、「隣いいですか?」横から声をかけられ、思わずびくっとしてしまう。陽央くんだ。

前の席には先に済ませた鹿野さんの分のお皿が放置されているが、ほかに空いている席はある。しかしわたしはホットサンドをかぶりついたまま、頭を軽く下げて、どうぞ、の意思を示した。

いつかの居酒屋の座り順を思い出す。そして気付いた、わたしのお皿にはホットサンドが4切れあるのに、彼のお皿には2切れしかのっていない。恥ずかしくなりうつ向く。お皿の上のホットサンドを見ながらひたすら咀嚼を繰り返す。

「そういえば、安田さん」

またも予期せぬ声かけに少し驚きながら顔を上げる。今度声をかけてきたのは店長。

「このあいだ陽央くんと一緒に提案してくれたやつなんだっけ、梨の、ポワールなんとか」

「ポワール・ベル・エレーヌです」

「そうそう、それね。俺はいいと思うよ」

「ほんとうですか」

「秋は、栗・さつまいもフェアの予定だったんだけどね。試作期間もちゃんとあるし、めずらしくていいじゃない。ほらインスタ映えもしそうだし」

「あ、ありがとうございます!」

陽央くんのほうを見る。優しく微笑んでいる彼は相変わらず可愛らしい顔をしていて、ハイタッチをしたくなったけれど、店長と鹿野さんがいるのでやめておく。

「店長! あたしの話まだおわってないんですけど!」

「ごめんごめん、でも陽央くんも気にしてないし」

「あたしが気にします!」

「ええ……」

どうやら鹿野さんはかなり熱心な陽央くん親衛隊らしい。店長の言うとおり、例の彼女は陽央くんになにもやっていない。連絡先を問いただすわけでも、待ち伏せするわけでもなく、ただ見ているだけだ。

わたしは、陽央くんが彼女のことをほかのスタッフ達と同じ、ベーキンと呼んだりせず、「お姫様みたいな格好の人」と言ったのに安心感を抱いた。

テーブルの下。膝と膝がずっと触れあっているのでさりげなく、膝を膝で、くいくいっと押し返す。ノックするみたいに。しかし膝は戻って来てしまった。わたしは改めて膝くっつけて、一撫でのお返ししたあと、しっかり手も乗せる。そうなったら、やられた者は次の再返ししないわけにはいかなくなる。すぐに陽央くんが自分の腿にしっかり手を添えてきたので、彼の腿をつねった。

「あ、イタッ!」

   *

お客様の出入りが落ちつくと、夜に向けての仕込みを行う。お重に入れる小鉢の料理を作ったり、海鮮物を水で解凍したり、野菜を切ったりする。

夜になり、オーダーストップがかかると、まずフライヤーの火を止め、ろ過装置を使って油を循環させ、綺麗にする。その間に、包丁を洗ったり、汚れたカップやタッパーを洗浄器にかけ、お米を炊く機械などを手洗い。レンジやその周りの壁などを拭き、最後にデッキブラシでキッチン全体の床を磨き、冷蔵庫もスポンジで磨く。洗浄機は、全てのものを洗い終わると、中にある栓を3つ抜き、その間に同じようにデッキブラシで床を磨き、シンクの中やその周りをスポンジで磨いてゆく。
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