恋じゃない愛じゃない

その帰り道。

また、聞こえる。

足音だ。

人気のない夜道。街灯さえまばらにしかない。暗い道。でも、わたしの部屋に帰るには、どうしても通らなければならない。

カツ……カツ、カツ。わたしのシューズの音にダブらせて、後ろからもう1つの足音。誰かが、自分のすぐ後ろを歩いているのだ。

わたしは足を速めた。後ろからの音もついてくる。ぴったりと、わたしの歩くリズムを盗み取るように。

それに気付いたのは、1ヶ月ほど前からだったろうか。夜遅く帰る日に、決まって足音はわたしを追って来る。

……カツ……カツ……カツ……。初めは人気のない道に反響するわたしの足音は普通より大きく聞こえ、たぶんそのためだと思っていた。

しかし。

聞こえる。

たしかに聞こえる。

わたしの足音に重ねるように、もう一つの足音が。

……カツ……カツ……カツ……。

ストーカーかとも思った。だが、ついて来るのは足音だけなのだ。ほかにそれらしきこと──留守の間に部屋に入られたとか、電話を盗聴されたとか──はないようだった。第一、わたしのような女をつけまわしてなにか面白いことなどあるのだろうか？

それでも、万一のために防犯ブザーは常備している。まだ一度も使ったことはないのだが。

いつも自宅に戻る頃にはいつの間にか足音は消えているが、怖いし、なにかあっては危ないので、いままで後ろを振り返ってみたことはない。いっそ、不審がられないよう、振り向いてみようか。自分と同じように、駅から家へと向かっている女性の足音だろうと思った。その足音は高く、ハイヒールのような靴底の硬さを連想させるからだ。

いつも自宅に戻る頃にはいつの間にか足音は消えているが、怖いし、なにかあっては危ないので、いままで後ろを振り返ってみたことはない。いっそ、不審がられないよう、振り向いてみようか。心の中で、いっせいの……の合図に、せ、の瞬間、不審がられないよう、歩きながらチラリと振り向いたのだが──自分の後ろ2メートルほどのところを歩いている人影を見たとき、危うく声をあげてしまうところだった。

季節的にまだ早い、黒のダウンコートのフードを深く被り、マスクをしていたと思う。

思う。というのは、わたしは振り向いたと同時に走り出していたからだ。不審がられようがもうかまわない。無我夢中で、前を向き、走る。

走って、走って、ひときわ明るいお店が見えた。コンビニだ。煌々と目がおかしくなりそうなほど明るいコンビニを見て、胸を撫で下ろす。普段は嫌なほど目立つ蛍光色の看板がいまは救世主様に見える。

走ったせいでドクドクと心臓が強く打っていて、少し苦しかった。ガラス越しの本コーナーにいたサラリーマンっぽいスーツの男性と目が合った気がして、呼吸を整え、背筋を伸ばすと、コンビニへ。

自動ドアが開くと同時にふんわりと、おいしそうな匂い。おでんの和風だしの匂い。最近は通年扱う店舗も増えた。だからかコンビニに入ると、どこも決まってこんな匂いがする。そして揚げ物を置いたとたんに油の匂いが充満する。

「いらっしゃいませ、こんばんは！」

入店するなり、元気な店員の声がして驚く。横で雑誌の整頓をしていた店員は、初めて見る男の子だった。よくこの店を利用するからわかる。新人さんに違いない。前髪がちょっと長すぎるよ、とおせっかいなことを思いながらとくに買いたいものなんてなかったけれど、入ったからには店内を見回そうと3歩、進んだところで、

「わっ！」

「ああぁ！」

とんっと背を押されただけなのに飛び上がる。さっき押し殺した声も情けない響きを持って出てしまった。

「ご、ごめんなさい！　そんなに驚くと思わなくて……」

あわてた声を出す陽央くん。

驚いたのは、先程までの出来事が理由なんだが。それに、彼がいることに驚く余裕はなかった。もう十分過ぎるほど驚いていたからだ。

着ている緑と青のタータンチェックのシャツが、なんとなく雑貨屋さんに置いてあるテディベアみたいだなと思った。