恋じゃない愛じゃない
座敷でみんながいい具合に飲んで食べて酔っ払って、勝手に席を移動しだして座が崩れてきた頃がつらい。ボッチが誰の目にも明らかになる。みんな順番に振られる話題が自分に振られなくなった。下座に座れば空いた食器、グラスを片付けたり、注文したり、飲み物を受け取ったり、手持ち無沙汰にはならないが、それも2時間半くらいしかもたない。

トイレに行って、帰ると、案の定わたしの居場所はなかった。自分が座っていた席に違う誰かが座っている。

さっき飲み込んだ溜息が喉元まで出てきていたが、それを出したら駄目だと堪えて飲み込んだ。溜息をつくと幸せが逃げるらしい、それでもこんな状態のいまならもう逃げる幸せもないんじゃないか。

会計にお金を置いて帰ろう。わたしが席からいなくなっても誰にも気付かれない自信がある、最初からボッチだから。


居酒屋を出てからだいぶ経つ。ノーカラーコートを前開けしているが、風が気持ちいい。ポケットに両手を入れながら、そのままアーケードをつっきって家に帰ろうとした。

アーケードも終わりに差し掛かった頃、その人物は、すごい速度でわたしの前に回りこんだかと思うと、両膝に手をついて、はあ、はあ、はあ、と息を切らしてみせたのだ。

「はっ……はあ……もう……歩くの、……はやっ……」

わたしはびっくり仰天して、なんのコメントも出来なかった。さっきまで隣にいた、ザ・コミュニケーション人間がなんで今度は目の前にいるのだろう。

彼は顔を上げ、汗でおでこに貼りついた髪を掻き上げると、

「……どこ、行くの? これから」

息も絶え絶えで。

「だいじょうぶ? ……陽央くん、あそこから走って来たの?」

ずっと、わたしを追いかけて来た? なんでなんでなんで。頭の中が疑問でいっぱいになる。

とりあえずわたしは、自分を落ち着かせるのと陽央くんの息が整うまでその場に立ち続けた。3分も経ってなかったと思う。たっぷりとした沈黙のあと、陽央くんは胸に手を当て、はあ、と息を吐く。

「……すみません」

「ううん全然」

わたしは首を横に振って、もう一度、だいじょうぶ? と言った。

「はい、あの、僕」

「うん」

「安田さんが心配で」

「ええ?」

なあにそれ、と言うと彼は目を丸くする。

どうやら彼は、飲みの席でわたしがいなくなったのに気付いて、トイレかと思ったがいつまで経っても帰ってくる気配がなく、だんだん心配になってしまったらしい。

「それで、僕、あわてて、もしかしたらトイレで倒れて動けなくなってるのかもって。安田さんあまり飲んでなかったでしょう? 元気もなかったし、具合あまりよくないのに僕がむりやり誘っちゃったから来たのかもって。安田さん、優しいから……」

頬の筋肉が引きつるのが自分でもはっきりわかった。彼は、色々誤解している。一番の大きな間違いは最後だ。

「わたしは優しくなんて、」

「優しいです!」

わたしが言い終わる前に陽央くんは強い口調で言葉を被せた。
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