恋じゃない愛じゃない
少し、びっくりした。

かと思えば、彼はパーカーの裾をギュッと握り締め、蚊の鳴くような声で、優しいです、僕のこと助けてくれたし……。と言った。

彼のファンの女性客がしつこく、LINEだけでいいから、と連絡先を聞いてきてなかなか引き下がらないことがあった。

それで、陽央くん困ってるし、他のお客様にも迷惑だし、早く出来上がった料理持っていってほしかったわたしは、『内金崎さん、急ぎの電話です』と嘘を言い、陽央くんをバックヤードへ引っ込める。『申し訳ございませんが、人手もありませんので……もういいですかね? お帰りお気をつけくださいませ』
お辞儀をして、一方的に退店を促すと、女性は渋々諦めてくれた。

あのあと、陽央くんには大袈裟なくらいに感謝されたのを覚えているけれど、唯一の心当たりはそれだけ。まさかね。

「安田さんが無事で良かったです。トイレ覗いたけどいなくて、」

「え、入ったの? 女子トイレに?」

「あっ、いや、しかたなくですよ!」

「うん」

「店員さんに聞いたら、もう帰ったって言われて、僕が責任持って送らなきゃって思ったんですけど……すみません、なんか、また迷惑かけてしまったみたい」

「迷惑かけちゃったのはわたしだよ」

責任を感じるべきはわたしだ。やはり黙って帰るのはまずかった。わたしが抜けてもなんの問題はないが、彼は違う。恨みを買ったかも……。明日シフトが入ってなくてよかった。

「あの、安田さん。行けるならコンビニに行きたいです。喉カラカラだから、お茶買いたい」

「あっ、いいよ。 そこのファミマでいい?」

「はい」

陽央くんがペットボトルのお茶を棚から出したら、わたしはそれを取り上げた。

「あと欲しいものある?」

「え、」

「このくらい出させて、心配代」

「あ、ありがとうごさいます。やった。でも、それだけでいいです。やった」

たかがお茶1本で、いちいち可愛い反応。いい気分だった。そんなところさえ、ザ・コミュニケーション人間だ。

2人でコンビニの外に立った。陽央くんがさっそくゴクゴクお茶を飲む。勢いがよすぎたのか飲み口から若干お茶が零れて顎を伝う。

ちょうど見上げる位置にある喉仏が上下する。流れる汗も相まって、男のくせに壮絶な色気を放っていた。じっと見てしまう。

「おいしい?」

口の端を雑に手の甲で拭って一息つく。

「……ん、おいしいです。ごちそうさまでした」

あっという間に、半分も飲んだ。
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