恋じゃない愛じゃない
「これからどうする?」

「えっ。どうしようかな。勢いで走ってきたから、なにも決めてなくて……」

「飲む? 飲めるところ行こうか、まだあいてるとこ、ひとつ知ってるから」

「いいですね! 飲みましょう!」

陽央くんはグータッチを要求してきた。

おい、マジか。と思いながら、わたしはグータッチに応じてしまった。


一軒のバー。ガラス窓越しに店内の様子を少しだけ見ることが出来た。柔らかい照明の奥には、数人の男女がカウンターで談笑している様子が窺える。淡い光を放つ看板が1つ。それは黒板をスポットライトで照らすという少々古臭いデザインだが、その古臭さがオレンジ色の光と相まって夜の落ち着いた雰囲気を壊すことなく店の目印としての役割を果たしている。

そんな看板をわたしは確認するように見つめた。

店の扉を開き入店ベルの音に迎えられながら店内へと足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ」

口髭を生やした初老の男性が、マスター。カウンターの中からのんびりとした口調で声を掛けてきた。

丈夫そうな分厚い木で出来たコの字のカウンターがあるだけで、十数人入ればいっぱいになる小さなバーだ。

奥のほうにカップルが一組と、席を開けた隣にスーツ姿の男性がいるだけ。入り口とカウンター側ではジュークボックスから流れるジャズの音しか聴こえない。

わたしたちが席に着いた途端、突如として店内の曲が落ち着いたジャズから激しい曲に変わる。

わたしはジムビームのロック、陽央くんはカルーアミルクを注文していた。

「なにそれ。あんまり飲めないの?」

「えっと、実はそうなんです、苦いのもちょっと……ビールってすごい苦いんですね、びっくりしました」

「麦の香りがして美味しいよ。え、はじめて飲んだの?」

「はい。今月の4日に、ハタチになったので」

うわっ! 頭の中のわたしが顔を顰める。若いとは思っていたけれど、まさか数日前まで10代|《未成年》だったなんて。

まずかったかもしれない、そう思ってももう遅い。

「悪かったね、飲みなんて言っちゃって」

「いえ、安田さんがせっかく提案してくれたんで、ここでゴチャゴチャ言うのもなんかいやだなと思い……」

そういえば、わたしも20歳になってビールを飲んだときは、苦くて不味い炭酸水、という感想しかなかったっけ。

しかし、友達に連れて行ってもらった店でビールを飲んでから、ビールを美味しいと感じるようになった。ビールの美味しさを知ると食事が楽しくなる。とくに焼肉や焼鳥などと一緒に飲むビールは格別。ビールは舌で味わおうとしては駄目だ。これがビールを不味いと感じる原因の1つ。ビールを口全体に含むと炭酸のピリピリとした刺激と苦味を強く感じるので、初心者には美味しく感じることが出来ない。ジュースのように舌で味わうのではなく、喉を通る爽快感と麦の香りを楽しむ飲み物だから、きつい炭酸のコーラを飲むときと同じように、口から喉に一直線に流し込むイメージでゴクゴクと飲むと、飲み終わった時に喉の奥から鼻にかけて、麦の香りがふわっと抜ける。

いまでは、ビールが飲めないなんてもったいない、と思うほどだ。

カルーアミルクに口を付けて、「……あ、これ美味しいです、甘くて。牛乳好きだし当たりでした」と言う陽央くんは奇妙なくらい、わたしをあまり見なかった、さっきから。

隣同士に座ったのに、自分のグラスを見たり、正面の、マスターの後ろに並んでいる酒瓶(ボトル)を眺めたりしている。

雰囲気も硬いし、緊張しているのだろうか。

並んでいるボトルはたくさんあって色んな形があって、綺麗だ。
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