朧月
序章



カラン、と。グラスの中で段々と溶けてゆく氷の音が耳朶を撫でる。

平素なら中々訪れることの叶わない、お洒落で上品なレストランの窓際の席。

予約したよ、なんて。嬉しそうな声で告げられたのはつい一か月前のことだ。





付き合って5周年の記念日だから、張り切ってくれたんだなぁとか。

こんなに良いレストランを選んでくれるなんて、もしかしてプロポーズしてくれる可能性があったり…?とか。

ポジティブな想像ばかり膨らませて、服だってずっと買おうかどうか悩んでいたお気に入りをやっぱり購入したりして。








「……もう一回言ってくれる?」








だから信じられない気持ちで胸中溢れかえっていた訳で。今し方私にある台詞を向けた目の前の男に、そう問い掛ける。

目を点にして呆けている私に対して、苦渋というか申し訳ないというか兎に角そんな表情を前面に押し出した彼氏――もとい卓也はと言うと。








「つぐみごめん。俺、他に好きな人ができて……別れて欲しい」








そう吐き出すなり勢いよく頭を下げる。レストランの雰囲気に全くもってそぐわないその行為のせいで、少しばかり周囲がザワつき始めた。

けれど、当の私は自らの感情の処理が置いてけぼり。事態が全く呑み込めない。







―――丹波つぐみ、25歳。どうやら結婚を意識していた彼氏から、5周年記念日に振られてしまった模様です。



< 1 / 24 >

この作品をシェア

pagetop