朧月



「っ、かちょ…!お疲れ様です!」





考えていた当の相手が急に現れたのと、いきなり後ろから声を掛けられて驚いたのと、色んな原因分子は思い当たったけれど。

一番は私がドジをやらかしてしまったことで、思い掛けず自らの腕に払われたマグが宙を舞う。中から褐色の液体が飛び出す様がスローモーションのように見えた。




「(やばい、割れ――)」





こめかみを冷や汗が伝ったその瞬間のこと。

なんと咄嗟に腕を伸ばした有馬課長によって、マグの破片が給湯室内に散らばる事態は免れた。

しかしながら素直に喜んでもいられないのが、その中身のコーヒーが課長の白いシャツに完全に飛び散り、染み込んでしまったということ。





「すみません課長!本当にすみません!」





焦るあまり顔面蒼白になる私。反して有馬課長は「あらら。濡れちゃったね」なんてのほほんとした返しをするのみで。




「どど、どうしましょう、私今から少しだけ抜けて買ってきても良いですか?すぐ戻るので…!」




そう言いつつも返事を聞く前に社外へ行く準備をしようと、給湯室を飛び出し掛けたのだけれど。

パシリ、と。右手首に迸った柔な熱に思わず急停止。
恐る恐る振り返れば、面白おかしく笑みを浮かべる課長に右手を掴まれていて。





「っ、」






急激に上がる体温を自覚した。どうして課長相手にこんなにも動揺してしまうんだろう。


< 10 / 24 >

この作品をシェア

pagetop