朧月
そんな私の胸中での葛藤は露知らず、尚もくすくすと笑みを零した有馬課長その人はと言うと。
「着替え、あるから心配しないで。それにしても丹波さんがそこまで取り乱すの、初めて見たかも。珍しいね?」
「本当ですか…!いやだって、上司の服を汚しちゃったんですよ」
急激に広がる安心感によって、強張っていた全身からへにゃりと力が抜けていく。
それと同時に解放された右手首。熱を帯びていたその場所が再度空気にさらされると、少しだけひんやりと感じてしまう。
それにしても、課長は優しすぎる。部下が粗相をしでかした時くらい怒っても良いのに。
「課長は、人が良すぎます。そのワイシャツはクリーニングさせて下さいね?」
「そんなことないって。んー、どうしようかな」
悩んだふりをしながらも、尚もその口許を飾るクスクス笑い。その理由を問えば、予想外の科白が降ってくるものだから又しても驚いた。
「俺の知らない丹波さんを、見せてもらったからかな?」
――嗚呼、なんと心臓に悪いお人でしょう。