朧月
今まで当たり前のように毎日会えていた好きな人。覚悟はしていた筈だった。CEOから直々に話があるだなんて、その事実こそ"イレギュラーな出来事の前触れ"に違いなかった筈なのに。
「…ご栄転、おめでとうございます」
私はなんて弱い人間なんだろう。堪えきれずにスッと流れた一筋の涙もそのままに、努めて笑んでは精一杯の祝辞を向ける。
私のこの恋心は、伝えてしまったら彼の重荷になるだろう。折角伝えようと決心したばかりだったのに、最後の最後に二の足を踏んでしまう。
涙を流す私を目にして、始めこそ驚いた様子を見せていた課長だったけれど。今度は緊張した面持ちで、咳払いを一つおとす。
「丹波さん」
そして呼ばれた名がするりと耳朶を撫で、私が顔を上げると。
「…関西支社に、一緒に行ってくれないかな?」
耳を疑うような台詞が飛び込んできたものだから、思わず驚きに表情を染めてしまう。