朧月
- 12:15 a.m. -
幸運なことに特にミスする訳でもなく午前の業務が終了した。
同僚たちが続々とランチに出掛けていく中、私も出ようとフロアのエレベーターまで歩を進めたときにはたと思い当たる。
「ごめん、財布忘れた!先行ってて」
「席取っとくねー」
同僚たちが談笑に華を咲かせながら閉まっていくエレベーターの扉を尻目に懸けると、急いでオフィスの中へと戻った。
しかしながら急いでいた余り、自分のデスクに戻る前にとある人物と衝突してしまったらしく。
「わっ、」
「有馬《ありま》課長…!すみません!」
急いで床に散らばった書類を拾い集める。そしてペコリと頭を下げ、「すみませんでした」とそのままデスクへ向かおうとしたものの。
「待って、丹波さん」
慌てたようにそう口にした課長によって、再度足を止めることになった。
有馬課長は、私の直属の上司である。まだまだ若いし、その甘いマスクと穏やかな性格で女子社員から人気を集めているようだ。
年齢は確か、34歳だったかな?
「(…まぁ、婚約者か奥さんが居るみたいだけどね)」
その左手薬指には、シルバーのリングがきらりと煌めいている。
まだ外すことのできない自分の指輪が霞んで見えて、訳もなく隠したくなった。
「今日って、残業できたりする?」
困ったように微笑む有馬課長その人によって、すぐに仕事へと引き戻されることになったのだけれど。