Q. ―純真な刃―
呆れ顔の汰壱は、つと顔を上げる。
うっすらとヒールの音がした。
音の出どころが大階段のほうであることをいち早く突き止め、犬のように駆け寄った。
「女王様~!!」
「扉の前で何をしているの。学校に行くならさっさと行きなさい」
姫華は忠犬に待てを教えつつ、朝一から粛々とたしなめる。
しかし、昨晩とはどこか雰囲気がちがっていた。
この世のものとは思えない絶世の美貌。
丁寧に梳かされた長い髪。
リボンをあしらった、高めのピンヒール。
どれも特別変化はない。
服装、そのたったひとつの要素が、印象を一変させている。
アイボリー色のボレロ。
ベージュ寄りのブラウンに染まるジャンパースカート。
丸襟から太めの赤リボンが垂れている。
おごそかでクラシカルな雰囲気のある制服だ。
昨日の黒のタイトなミニ丈ワンピースだと、どこか冷ややかでクールだったけれど、今の制服姿はどこからどう見ても一端のお嬢様だった。
現に、その制服は、白薔薇学園以上にレアリティが高く、選ばれし者しか着用できない。
姫華の制服一点に注目している成瀬に、汰壱は鼻高々に紹介した。
「我らが女王様は、白園学園の、卒業を控える3年生なんですよ! すごいでしょう!?」
日本、とりわけ関東に住まう上流階級の子女たちが通う、超お金持ち学校――白園学園。
その生徒にのみ許可された称号のような制服を、姫華は当たり前のように身にまとっていた。
異質だが不自然ではない。よく似合っている。
派手やかな洋館に、とてもふさわしい。その反面、不良という概念には、汰壱の制服姿よりもはるかに不釣り合いだ。
姫華と汰壱が戯れる光景は、ある種の非現実。ここが暴走族の拠点であることを、一瞬、忘れさせる。
「なぜあなたが言うの、汰壱」
「だって女王様のすごさを知ってほしいですもん!」
「誇れることではないわ」
「あの白園学園ですよ!? 女王様のお力あってこそ在籍できているのではないですか!」
しっぽを振るように好き好きアピールをする汰壱を、姫華はやさしく撫でてやった。
彼女のすごさは、成瀬にも十分伝わった。伝わりすぎて、思考回路がショートしそうになっている。
(白薔薇学園に白園学園、だけどここは神雷のたまり場で……???)
視覚と脳との情報差で、めまいがした。
驚きポイントがこんなにも早く更新されるなんて、成瀬の本来の日常ではありえないことだ。ありえちゃいけないことばかりが起きている。
成瀬はひとつひとつ情報を整理し、ようやくひとつの答えを見出す。
「ということは、つまり……お嬢様、なのか。あ、じゃあ、この洋館も女王の……」
「いいえ、ちがうわよ」
「えっ?」
秒で否定された。不正解だったらしい。
「あの噂を知らないの?」
「噂って……」
成瀬が思い当たるものといえば、ひとつしかない。
この町の住人なら誰もが耳にしたことがある、例の噂。
――あの館は、神雷のもの。立ち入ったら最後……。
「ここは正真正銘、神雷の所有物」
姫華は成瀬を横切る寸前、いたずらに声をひそめた。
「白園学園は、お嬢様じゃなくても入れる方法があるのよ」
不敵な笑みをこぼされる。
なぜか成瀬の背筋に冷たい何かが伝った。寒い。暖房があまり効いていないのだろうか。
扉を開けた姫華は、「あ、そうそう」と髪をなびかせながら振り返る。
「あなた、今日の予定は?」
「え? えっと……14時に学校早退して、20時まで撮影だけど」
「それじゃあ22時にしましょうか」
「な、何が?」
首を傾げる成瀬をよそに、姫華の視線は副総長二人へ移される。
「今夜22時、全員に収集かけておいて」
「OK! 昨日の件ですか?」
「いいえ、いつものよ」
「っしゃ。殺ってやんぜ!」
なぜか殺気立つ二人に、成瀬はぶるっと身震いする。
やっぱり今日は一段と寒いのかもしれない。カバンからマフラーを取り出した。
具体的な内容を明かさないまま、姫華はダイニングホールへ入っていった。ゼリータイプの栄養補助食品ひとつと、下っ端が用意したサンドイッチを手に取ると、誰よりも先に洋館を出た。
玄関先に昨日の痕跡はひとつもなく、冬の空から降り注ぐやわらかな日差しに照らされていた。