Q. ―純真な刃―
「1か月、だもんね」
「最初のころより、だいぶ顔色よくなったよね」
「頭の包帯も取れたし」
「たまにお医者さんが来てくれてたとはいえ、ここは病院じゃないのによくがんばったよ」
「マルがずっと世話してあげてたおかげだよ」
「やさしいよね、ほんと」
「あの子がいなかったら、みんなどうなっていたか……」
「でもその子って、どうして大怪我をしたんだっけ?」
「飛行機事故らしいよ」
「事故……?」
「突然、爆発したんだって」
「爆発、か……」
「……こわい」
「どれだけの人が犠牲になったのかな……っ」
「泣かないで。こうして生き残った子もいるんだから」
「でも……でも……」
「なんで……っ」
「悲しいよね。せっかく生き延びたのに」
「こんなところに拾われちゃうなんて」
「生き地獄だよ」
「マルがいるからなんとか耐えてるけど……」
「……あれ?」
「どうしたの?」
「そういえば、マル、遅くない?」
「お水、取りに行ったんだよね?」
「井戸ってそんなに遠いのかな」
「わかんない。地下牢から出られるのは、あの子だけだもん」
「なにかあったのかな……」
「――待って! お願い……!」
突然、地下に響き渡ったのは、ちょうど話に出ていたマルの叫び声だった。
地下牢に続く螺旋階段から、いくつかの足音が反響する。
黒いブーツを捉えた途端、地下牢の子どもたちは一斉に顔色を変え、身を寄せ合った。
ダン、ダン、と蟻一匹残さずすり潰すように、ブーツの靴底が石段を叩いていく。そのたびに、室内温度が低く、低く、下がっていく。
ブーツのあとをペタペタと、裸足の軽い音が全速力で追いかけていた。枝のように細い素足は一段飛ばしでスピードをつけると、壁を走り出す。ブーツよりも先に、地下に着地する。
すすけた足をしたマルが、息を乱しながら、牢の前で両腕をぴんと広げた。
震えおののく牢の中、シカクだけは焦った様子で鉄格子に近づいた。
「な、なに? どうしたの!?」
「下がって。あいつが来る」
マルは、黒いブーツ一点に集中していた。
最後の一段を下りたソレから、少しずつ視線を上げていく。
皮のパンツ。黒のタンクトップ。焼けた肌。パンプアップされた体つき。
現役ボディービルダー顔負けの巨漢が、そこにいた。
露出された体にはいくつもの古傷が刻まれ、明らかに堅気ではない。
「……何の真似だ」
案の定、ドスのきいた第一声が発せられる。
40代後半であるひげの生えた顔は、幼子のイライラ期に似た苛立ちのみをあらわにし、容赦なく威圧している。
「は、入っちゃだめ。お願い」
「は?」
「ぼ、ボス、お願い……します」
痛いほどの重圧を浴びても、屈することなく立ちはだかる。
「どけよ」
「い、いや」
「あのガキが目ぇ覚ましたんだろ? なら飼い主として確認しておかねぇと」
「だめなの。まだ怪我は治ってな……ッイ゛!?」
屈強な腕がひと振りしただけで、ちっぽけな体は吹き飛んでしまう。
「うっせえ。口答えすんな」
かろうじて受け身を取れたものの、力の差は歴然。一歩間違えれば、重傷者がひとり増えていた。
こうなることを、誰しも予想していた。
愛用の黒いブーツが見えた、その瞬間から、恐怖政治は始まっている。