Q. ―純真な刃―
その男、地下牢の支配者であるボスに、子どもたちは飼われている。
絶対服従。逆らえば、命はない。まさしく、生き地獄。
ただ唯一、マルの心は、ずっと前を向いていた。
必死に足掻き、あきらめず、正義を貫き続ける。
監禁された被害者のリーダー的存在であり、そして、一縷の光を灯す守護神であった。
しかし、いや、だからこそ、シカクは不安だった。
(もう見たくないよ……ひとりだけ傷つく姿なんて……っ)
重傷の子のことなんかどうだっていい。
これ以上マルを盾にしたくなかった。
みんなと一緒で怖くてたまらないだろうに、最低限の安全を保守するためにわざとヘイトを買って、人柱になって。
小さくて大きな、あの背中だけに、傷がつく。
本当は助けに行きたい。けど、牢には鍵がかかっていて出られない。
鍵を持っているのは、ボス側とマルのみ。
マルには、子どもたちの管理のため、鍵を預けられている。
逃げられることはないと確信しているのだ。地下を出るには螺旋階段を行くしかないうえに、ボスのアジトと直接つながっている。そこを突破するのは至難の業だ。
(でも……わかってる。牢を出られたとしても、強くないし、足を引っ張るだけ。そんなことわかってる、けど……っ)
今もなお、マルは戦い続けている。子どもたちの中で一番運動神経がよく、経験値も豊富だけれど、大人相手ではさすがに比較対象にもならない。
何度立ち上がっても、返り討ちにされる。
ボスは難なく鉄格子を開き、中に入った。のんきに眠る重傷の子を、鼻で笑った。寝顔をよく見ようと、首元をわしづかみにする。
「うっ……」
「見立てどおり、なかなかの上玉だな。あんとき拾っといてよかったぜ」
ボスの眼光が興味深そうに舐めていく。汗ばむ皮膚に、ぎちぎち、と爪が食い込む。
息苦しさと激痛で、重傷の子の意識が浮上してしまう。
すかさずマルは筋肉質な腕をひっつかむ。
「や、やめてください!」
「てめぇごときが気安く触んな」
乱暴に振り払われ、今度は膝が飛んでくる。それを両足で跳ね返したマルは、顎先を狙って手刀を構える。寸前、差し迫る拳を察知し、宙返りをして回避した。
重傷の子は寝ぼけ眼ながらパニックに陥っていた。
「え……? な、なに、これ……!?」
ほとんど声になっていない悲鳴。せっかく安定した脈拍が、また乱れていく。
マルは重傷の子の前に立つと、守備態勢を整え、壁となる。
「はぁ、はぁ……もう、わかったでしょう?」
「あ?」
「この子はまだ休まないといけません。そっとしておいてください」
荒くなる息を押し殺し、禍々しいプレッシャーを真正面から受け止める。大きく広げられた細い腕は、指の先までこわばっていた。
「お願い……お願いします。ここは任せてください」
慎重にこうべを垂れると、ボスはため息交じりに舌打ちをする。
「……商品に傷がついたままじゃ、価値が下がるか」
しゃーねえ、とぼやきながら、マルの髪の毛をつかみ上げた。痛がるマルを気に素振りもなく、泡を食う重傷の子を一瞥する。
「そこまで言うなら、33番の管理、頼んだぞ」
「は……はい……」
「裏切ったら、どうなるかわかってるよな?」
「っ、」
マルは息をのみ、震える唇を嚙みしめた。
力加減を知らない無骨な手が、きれいな金糸を根こそぎ抜き取る勢いで放される。
興味が失せ、踵を返すボスに、緊張の糸がようやく切れた。地下牢の子どもたちはひと息をつく。
「あのおとこのひと……どこかで……、ッ」
頭痛をこらえる重傷の子に、急いでマルは駆け寄った。傷口が開いていないか、体に異常はないかを確認する。目立った損傷がないことがわかると、その場にへたり込んだ。
「ごめんね。起きたばっかりなのに、こんな……」
「マルが謝ることじゃない!」
とっさにシカクが庇うけれど、マルは聞く耳を持たず、すべてを背負おうとする。
「な、なに……なにが、おこってるの……?」
重傷の子は勇気を出して上半身を起こした。体力と痛覚をごっそり刺激される。ふらつく体を、あわててマルが支えた。
「まだ寝てなきゃ……!」
「おしえて」
マルの手に、自分のを重ねる。重ねただけ。ちゃんと握りしめられない。
どちらの手のひらも熱が引き、氷のように冷たかった。