不本意ですが、エリート官僚の許嫁になりました
金曜は19時に新宿のシアター前で待ち合わせることにした。一緒にオフィスを出るのも変だし、それぞれ抱えている仕事は別にある。現地待ち合わせの方が都合がいい。
金曜、翠はいつも通りだった。服装も髪型もいつものまま。話す内容は仕事のことだけ。しかし、定時過ぎに先に上がる時、俺にひと言だけかけた。

「先に行ってるね」

表情はビジネスライクだけど、言葉に混じるわずかな恥じらいみたいなものに、なんだか俺の胸が騒がしくなる。なんなんだ。翠と映画に行くだけじゃないか。落ち着け、俺。
そわそわ、言葉にするならそんな感じだ。
続いてオフィスを出ようと仕度を整えPCの電源を切る。すると戸口で俺を呼ぶ声が聞こえる。

「斎賀さん、少しいいですか?」

主計局の後輩、田城だ。在学中の面識はないが大学では俺と翠の後輩にあたる。学閥というのか、出身大学が同じというのはこういった社会でもどこから「面倒を見てやる相手」になりがちだ。

「どうした」
「資料庫の鍵がおかしいんです。開かなくなっちゃって」

資料庫は主計局と特務局の機密中の機密。指紋と虹彩認証がないと外からも内からも解錠できない仕組みだ。

「内側から開ける時、反応しないことがあるって言ってたな。外からも開かないのか?」
「そうなんです。ちょっと見てもらえませんか?」

主計局の人間に頼ればいいものを、と思いつつ後輩のちょっとした頼みを無碍に断るのも馬鹿らしい。
鍵は専門業者を呼ばなければならないから、開かないとわかればあとは来週でいいだろう。
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