不本意ですが、エリート官僚の許嫁になりました
ドアに気を取られ、彼女の抱擁を振り払うのが一瞬遅れた。

「……豪……」

なんてことだろう。そこに呆然とした顔で立ち尽くしていたのは翠だった。

「翠」

俺は慌てて風間さんの抱擁から逃れた。しかし、その姿はまるで浮気現場を見られて慌てている男のようだっただろう。なんて間が悪いんだ。

「助かった。閉じ込められてしまったんだ」

それと約束に間に合わなくてごめん。言外に伝えたくて、彼女の瞳を見つめるけれど、翠はふいと顔をそらしてしまった。

「全部の荷物がデスクにあったから、どこかにいるんだと思って探しにきただけ」

翠の答える声は小さい。風間さんが、俺と翠の横をふいっと通り過ぎる。俺に向けて、にっこり笑い言った。

「斎賀くん、またね」

その意味深な態度は、俺からしたら『わざとらしく何かしていました感を出すな!』だけど、翠には本当に俺と風間さんに何かあったように映るだろう。

「翠」

変な誤解をさせたくない。せっかく翠といい関係が築けそうな今、こんなことでぶち壊したくない。

「今日は帰るね」

翠は短く言って、小走りで行ってしまう。慌てて追おうとしたけれど、その拒絶的な背中を見ていたら、今何を言ってもきっと言い訳にしか聞こえないのだろうと感じられた。
俺はドアから外へ出た。ものすごい疲労感だった。積み上げてきたものをぐちゃぐちゃにされた気分だ。事実そうなのだけれど。
オフィスに戻ると、翠はやはりいない。俺は裏紙に『ドア故障中。内側から開きません』と殴り書きし、ガムテープでべったりドアに貼りつけた。
やってられない。心からそう思った。
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