不本意ですが、エリート官僚の許嫁になりました
「局長に言われたわ。主計局に異動しないかって」
「いい話じゃないか。財務省の花形部署だ」

俺は決めていた言葉を答える。翠が振り向いた。きつい表情だ。悔しそうに眉が歪んでいる。

「あんたが画策したの!?」

俺は答えない。

「私が邪魔だから、特務局から追い出そうとしたの!?」
「そういうわけじゃない。特務局から出た方が翠は自由に自分のやりたいことができる。調査業務がなくなれば、今回のように危険な目にも遭わなくなる」
「それは斎賀の考えじゃないのね。豪の考えなのね」

翠がうなるように言い、俺は頷いた。

「翠が望むなら、斎賀から離れられる。限りなく影響の薄いところまで逃げられる。翠にはその方がいいんじゃないかとずっと考えていた」
「っていうことは」

翠が言葉を切った。栗色の瞳からぽろりと涙がこぼれるのが見えた。

「私と結婚しなくてもいいってことね」

どこか呆けたような声音だった。すでに俺への感情を諦めたような表情に、胸がずきんと痛んだ。刺されたみたいに鋭く痛い。

結婚したくないなんて思わない。翠と結婚したい。だけど、このままおまえを斎賀の駒の一部にしたくない。
翠には翠の人格があり人生があり、未来がある。
斎賀のために生きる必要はない。

翠が好きだから、俺はそう思う。翠を翠らしく生きさせてやりたい。

「そうなっても仕方ない」

答えた声は冷たく響いたかもしれない。
翠は涙を振り絞るようにぎゅっと目を瞑った。それから次に目を開けた時には、もう俺を見ていなかった。

俺を置き去りに歩き出す翠を俺は追わない。
ビルとビルの間を熱風が通り過ぎる。俺は翠の背が庁舎の影に消えるまで見送った。汗が背中を伝った。

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