マイ・フェア・ダーリン
痙攣が収まらない腹筋のせいで手元を揺らしながら、私の手に少し古びたグレーの小箱を乗せる。

「これ、取りに行ってた」

箱の中には一粒ダイヤモンドのついた指輪が収まっている。
傷だらけのプラチナ部分に比べ、ダイヤモンドは強い光を放っている。

「優芽、俺と一緒に都大路を目指してほしい」

一粒ダイヤが、祈るように瞬いた。

「……………え? まさか今のってプロポーズ?」

「そうだけど?」

「一生に一度の大事な言葉がそれ? ただの有力選手のスカウトじゃない!」

「あ、本当だ」

「もうーー! 廣瀬くーーーーん!」

肝心なときほど締まらない……。
呆れた顔で深いため息をついたけれど、本当はそんなところも大好きなのだ。
でも言わない。
言えない。
人間そうそう変われない。

「監督、オレ一生ついて行きます!」とでも言ってやろうかと思ったら、廣瀬くんが本当に真面目な顔をしていたから言えなくなった。

「優芽にプラスになるようなこと、何もないんだ。田舎だからアミューズメントは少ないし、特有の息苦しさや慣習はあるし、雪も降るし、バイトしても時給は安いし。だから全部俺の身勝手なんだけど、優芽にいてほしい。だめかな?」

ひと息に言い切って、「やっぱりちょっと恥ずかしいね」と頬っぺたをピンク色に染めた。

おい、おじさん。
なんで私よりかわいいのよ。
それより可愛げある反応なんて、できるわけない。

「返事はもうしないよ」

ふんっ! と顔を背けたら、

「うん、いいよ」

とあっさり応じられた。

「いいの!?」

「いいよ」

廣瀬くんは私の顔に手をあてて、目の下あたりを親指で撫でる。

「この辺、いつもちょっと赤くなるんだ。優芽の気持ちはここ見ればわかる。それ見るの好きだから、素直じゃない反応で構わないよ」

「悪趣味!!」

「うん。でもほら、さっきからずっと赤い」

ふふふふ、と勝ち誇ったように廣瀬くんは笑う。
もはや私は何も言えず、表情もつくれず、ひたすら羞恥に耐えるばかり。
あくまで可愛げなく顔を背ける私の頭を引き寄せて、廣瀬くんは髪の毛にちょっとだけキスを落とした。
こうなってしまうと、必死に不機嫌を装っても効果はないと、自分でもわかっている。

この人、結構やりたい放題なのだ。
振り回されているのは、私の方ですから! 断固!
私はいつも寿命縮むほどドキドキしてるのに、この人はランナーだから、ゆったりした鼓動を刻んでいるに違いない。

もはや抗うことなんてできず、廣瀬くんの為すがまま。
廣瀬くんのキスが大好き。
廣瀬くんが大好き。
人生はつらいことの方が多いけど、単純に「生きててよかった」と思ってしまう。
愚かだ。
しっかり悩んで決めるべきことを、あっさり承諾してしまった。
まあ、いっか。
< 108 / 109 >

この作品をシェア

pagetop