マイ・フェア・ダーリン
「西永さんは人間ドック初めてですか?」

そう言うと廣瀬さんは新聞を丁寧に畳み、立ち上がって二歩だけ離れたラックに戻す。
座っていたソファーからは1m、2秒ほどしか離れていなかった。
それなのに、その絶妙なタイミングで、すーっと歩いてきたおじいちゃんが、自然な態度で廣瀬さんの座っていた場所に座った。

………あ。

廣瀬さんは元の場所に座ろうとして、泰然自若としたおじいちゃんを見て苦笑い。
離れた後ろのソファーに移動して行った。

もう、廣瀬さーーーん!

何の義理もないのだけど、まだ会話の途中だったという居心地の悪さもあり、毒にも薬にもならない廣瀬さんでも(失礼)話し相手がいるだけマシだという気持ちもあって、私も廣瀬さんの隣に移動した。
ちょっと驚いた顔の廣瀬さんに、そのまま会話の続きを投げ掛ける。

「お恥ずかしながら、二十八歳にして初めてです。廣瀬さんは?」

「俺も三十二歳にして初めての経験です。CTとMRIは受けたことありますけど」

「あれって痛いんですか?」

「痛くはないです。でもMRIは長い時間狭いところに閉じ込められて、大きな音を聞かされるので、なんか変な洗脳されてる気分でした」

私は深く賛同を表明する。

「病は気から、って言いますけど、ここにいるだけでどんどん具合悪くなりそうですよね。食べてないはずなのに何かを吐きそう」

廣瀬さんはうーーん、と伸びをした。

「俺はお腹すきました。終わったら何食べようかって考えるだけが楽しみです」

「何食べるんですか?」

「何だろう? 麺類がいいかな。ラーメンとか。燦々太郎の完全焼干し中華にしようかな」

「あ、私そのラーメン気になってるんです」

「48番の方ー!」

かなり後ろの方に座っているため、看護師さんの声も聞き取りづらい。
それでも、はい、と返事して廣瀬さんは立ち、軽く会釈して別室へと入って行った。

ラーメンか……空っぽの胃には負担が大きそうだ。
私は何食べよう。
早く終わらないかなー。

「51番の方ー!」

「はーい」

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