マイ・フェア・ダーリン
ははは、ふふふ、となごやかな声が立つ中、店員さんがお通しを運んできた。

「いらっしゃいませ~!」

黒い焼き物のお皿にもりっとキャベツが乗せられている。

「後ろから失礼しまーす」

店員さんは廣瀬さんに声をかけ、テーブルにお皿を置こうとする。

「あ、はい」

声をかけられた廣瀬さんは振り返り、さすがと言うべきか山盛りキャベツに肘鉄を食らわせた。
キャベツが雪崩を起こしてトレイとテーブルと床に散らばる。
本当に、間の悪い人……。

「ああ!」

悲鳴を上げたのは店員さん。

「も、申し訳ございません!!」

こぼれたキャベツを拾い、廣瀬さんの肘におしぼりをあてようとして、それを本人が受け取った。

「こちらこそすみません。もったいないことしてしまいました」

ゴシゴシと擦っても、肘にはわずかに染みが残っている。
テーブルに落ちたキャベツをひとつ口に入れてみると、ゴマ油と塩昆布がまぶされていた。

「……クリーニング」

肘の油染みを見て、店員さんが震える声で言った。

「安物ですし、本当に大丈夫です。元々明日クリーニングに出す予定だったので、気にしないでください。ほら、全然目立ちませんし」

おしぼりで濡れた肘は確かに染みが目立たない(濡れてるからね)。
ホッとした顔で、店員さんはふたたび頭を下げた。

「お通しはすぐ新しいものをお持ち致します。本当にすみませんでした」

ジャケットを脱ぎながら、にこにこと廣瀬さんは彼女を見送った。
うちの課長のスーツより高価だろうに、本当に気にしていないようで、適当にたたんでポイッとその辺に放り投げる。

「彼女、粗相したのが廣瀬さんでよかったですね」

「そうですか?」

「いや、相手が廣瀬さんじゃなければ、そもそも粗相しなかったかも」

「……その言葉、どう受け取ったらいいんでしょう」

「一連の流れが“らしい”なあって。私は楽しかったです」

困ったような歪んだ笑顔で、廣瀬さんはテーブルに残ったゴマ油を拭き取った。
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