マイ・フェア・ダーリン
『澤南大の谷町に異変です!』

アナウンサーが緊迫した声を張り上げていて、私も視線を画面に戻した。

『小田原中継所で襷を受けてから12km地点! 王者澤南大学にアクシデントです!』

澤南大はこれまで順調に先頭を走っていたのに、素人目に観ても脚の運びがおかしかった。

『澤南大の谷町、身体が大きく傾いて……ああっと! 大丈夫でしょうか。かなりふらつく場面が増えてきました!』

もはや走っているとは言えないスピードで、それでも選手は脚を前に出そうともがいている。

「5区は標高差800m以上を駆け上がる山登り区間で、近年はここで大逆転が多発する重要区間なんです。山だから気温差も大きくて、この澤南大の谷町くんは低体温症になってしまったんですよね」

苦しそうに、それでも一歩一歩脚を進める彼の背中に、今まで見えなかったランナーたちが迫ってくる。
ひとり、ふたり……。
抜かれるたび足取りは弱々しくなっていき、もう歩くのも困難なほどに蛇行し始めた。

「………………」

“興行”と廣瀬さんも言っていたけれど、これは本当に観ていいものなのかと、私は下唇を強く噛む。

「具合悪いのに、無理して出たのかな」

「陸上選手の身体は精密機械ですから、日常ならなんともないような体調の変化でも、こうなってしまうことはあります」

人間は機械じゃないから、毎日同じ物を食べ、同じリズムで生活しても、同じ体調をキープできるわけじゃない。
ちょっとダルい、少し眠りが浅かった、そんなことは常にあることだ。
だけど選手は、その少しの違いによって、タイムが大きく変わってしまうのだという。
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