マイ・フェア・ダーリン
『ついに本橋監督が谷町の元に向かいます!』

幽鬼のようになってもゴールを目指す彼に、監督が近づいていく。
しかし彼は監督から逃れるように離れ、よろめきながら前へ前へと動かない脚を進め続けていた。
朦朧とする意識の中でさえ、襷を繋ぐことだけを考えている。

ふたたび近づいた監督は、説得するように力強く彼を抱き締める。
その腕の中で、魂が抜けて木彫りの人形にでもなったかのように、その身体が崩れ落ちた。

「ここで澤南大はリタイアです」

彼を乗せた救急車を見つめる和紗ちゃんも苦しそうだった。

「この後わかることですが、谷町くんさえ普通に走れていたら、優勝できたと思うんです。つらいですよね」

こうして、駅伝の襷はどんどん重くなるのだと思った。
仲間との絆であると同時に、周囲の期待や伝統が何十年も掛けて蓄積された、想いのこもった枷。

「立ち直れたかな」

この駅伝から十年経っている。
傷が癒えていてほしいのは、彼のためというよりも、その場面を目撃してしまった居心地の悪さがあるからだ。
これを糧にするには、あまりに舞台は大きくて、人生にそんなチャンスはなかなか巡ってこない。

「谷町くんの気持ちの本当のところはわかりませんが、翌年同じ5区を区間三位で走って、澤南大も優勝を果たしています」

よかった、と思わせてほしい。
その苦しみを想像するには、私は弱すぎるから。

『楠島学院大学。四年ぶり、五度目の復路優勝ーーーーっ!』

一強と言われた澤南大がリタイアし、レースは10分以内に16校が入る混戦となっていた。
湘教大は順位を上げ、1位と1分37秒差の3位で往路を終えた。
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