マイ・フェア・ダーリン
箱根駅伝について語る機会なんてこれまでなかったし、例えあったとしても口にしにくい違和感を初めて言葉にした。

「優勝チームを応援して『おめでとうー!』って言うのはいいんですけど、負けて泣いてる人たちを見ていてもいいのかな? って」

甲子園で負けたチームが泣きながら砂を集めるシーンは名物と言えるけれど、それを近距離で撮影するカメラには居心地の悪さを感じる。
あれと同じだ。

「襷が繋がって欲しいとは思うけど、もし毎年全チームの襷が繋がってしまったら、“ドラマ”のひとつが失われますよね? あと走れなくなった選手がフラフラしてる姿とか、よくテレビに映されるじゃないですか。でもそれって、他人の不幸を楽しんでる気がして罪悪感があります」

箱根駅伝のニュースは終わった後もたくさん流れているけど、優勝以外はあまりいいシーンではない気がする。
倒れ込むほど走っても襷が繋がらず、泣きながら運ばれて行く姿。
脱水症状で朦朧として、蛇行しながら進む姿。
自身の病気や、ご両親を亡くしたエピソードもある。
だからあまりにひどいときは、チャンネルを変える。
泣いてる姿なんて、私なら見られたくないから。

「……すみません。こんな話」

窓からは色づき始めたイチョウの、やわらかな影が入り込んでいる。
吹いた風にその枝が揺れ、影も床やテーブルや私たちをそっと撫でた。

しんみりしてしまった空気をもはや自分ではどうにもできず、社員食堂の喧騒に救われる思いだった。
こんな、何て言っていいかわからない発言に、それでも桝井さんはやさしく微笑んでくれる。

「一理はあるけど、楽しませてもらってることに感謝すれば十分じゃないかな」

園花ちゃんもうんうんとうなずいて、

「スポーツに勝ち負けがつくのは当たり前ですから」

と言う。
私も力ない微笑みを返した。

「まあ、ちゃんと見たこと、一度もないんですけどね」

結局私の中で、箱根駅伝も牧さんも、濃い霞みに覆われたまま、晴れることがなかった。




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