マイ・フェア・ダーリン
『こちら一号車です。湘和教養大学の牧は4kmの通過が11分46秒。後ろを走ります志野原大学の矢代とは少し差がついてきました。大内さん、牧の走り、いかがですか?』

『非常に落ち着いていますね』

アナウンサーは大内さん(誰!?)の言葉を待ったらしく少し間があったけれど、それ以上何も言わなかった。

ええーーー、大内さーーーん! もっと何かないの?

『こちら三号車です! 澤南大の浦垣が常道大の保坂を抜きました! これで見た目の順位としては四位まで上がっています!』

『こちら四号車です! シード権争いが熾烈になっています! 八位から十二位までの五校が集団でしのぎを削る大混戦です!』

ヒートアップする中継に反して、私の表情は雲っていく。

「……この9区は他に見所が多くて、あまり牧くんは映ってないですね。トップって本当はもっとずっと映るんですけど」

和紗ちゃんも申し訳なさそうに小声で言った。

廣瀬さーーーーーーん!!

あなたの間の悪さが、なんだかいちいちいとおしい。
一世一代の場面なのに、なんで見所が他にたくさんあるんだろう。

それでもさすがにトップ。
一段落するとカメラは廣瀬さんに戻ってきた。

『権太坂のチェックポイントで計りましたところ、この牧と後ろの矢代との差は1分47秒に開いています。大内さん(陸上長距離界では有名な解説者らしい)、どうでしょう?』

『矢代くんはここから立て直したいところですね。ハーフでもいい記録を出してますし、元々力のある選手ですから、期待したいと思います。牧くんもいいですよ。非常に落ち着いています』

…………大内さん、もっと廣瀬さんにも何か言ってあげて。

沿道には途切れることなく観客がいて、旗を振りながら応援している。
出場校ののぼりを掲げている人もたくさんいるけれど、まったく揺れていなかった。
廣瀬さんが浴びている向かい風は、廣瀬さん自身が作り出しているものなのだ。

10kmを過ぎて胸に“給水”と書いた服を着た人が、並走して廣瀬さんにペットボトル二本を渡しながら何か言っている。
廣瀬さんはうん、うん、とうなずいてペットボトルを返し、最後にちょっと笑って、ありがとうというように左手を上げた。
その瞬間だけ、私のよく知る廣瀬さんに見えた。
けれどすぐに表情を引き締め、風を生み出しながら淡々と前だけを見て走っている。
のどかな雰囲気は変わらないのに存外日差しは強いらしく、足元に落ちる影の色は濃い。
真冬にかなりの薄着をしているのに、盛り上がった肩は汗で光っていた。
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