マイ・フェア・ダーリン
いつも以上に騒がしい事務課前を、タイムカードを押す社員が通りすぎて行く。

「おはようございます」

今日も廣瀬さんは他の人の影より薄い存在感で、ふわふわ歩いていた。
以前の私なら、声を掛けられなければ見過ごしていたのに、もう彼しか見えない。

「……おはようございます」

“AKIRA Enjoji”の箱をさっと机の下に隠し、私は俯いてFAXを整理するフリをしながら挨拶を返した。
意識しすぎてびっくりするくらい顔が赤くなり、とても見せられなかったのだ。

「牧さん、おはようございます!」

事務課とはフロアの反対側、奥の方から堀田さんが小走りでやってくる。
小声で何かやり取りしながら恥ずかしそうに紙袋を差し出すと、サラサラの髪の毛が肩から落ちた。
ふわわんと笑って廣瀬さんはその紙袋を受け取り、ピンク色の顔で一礼した堀田さんは、ウサギが逃げるように戻っていく。

「あの紙袋! “AKIRA Enjoji”って書いてなかった? やっぱりそうよね?」

桝井さんは私の紙袋と見比べ、確信を深める。

「受け取りやがった」

舌打ちと同時に園花ちゃんが吐き捨てた。

「……受け取るでしょ、廣瀬さんなら」

人の気持ちだもの。
受け取るよ。

「私のこれだって、受け取ってはくれるよ」

気持ちを受け取ることと応えることは違う。
私はもう、受け取ってもらうだけでは満たされない。

俯いているうちに廣瀬さんは事務所を出ていったらしい。

「西永さん! 今ですよ!」

「早く追いかけなさい!」

両サイドから責められても、私の脚は頑なに動かなかった。

「無理です。二番煎じなんて……」

「大丈夫ですよ! その量なら勝てます!」

「多数決じゃないんだから」

渡す心の準備も、廣瀬さんの反応を見る準備も、まだまだ全然できてない。
できそうもない。



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