エリート御曹司は獣でした
目の前にあるのは、鍋料理のつけだれの定番、ポン酢である。

親しみ深く、温かな響きがあり、一家団欒と平和の象徴のような調味料が、今はまるで、正体不明の恐ろしい液体のようだ。

決死の覚悟で、それに立ち向かおうとしている彼と、必ずや救ってみせると静かに意気込む私。

もし、事情を知らない第三者がここにいたなら、なにをやっているのかと滑稽に思うかもしれないが、私たちは至って真剣である。

変身体質を治したいという願いを込めて、この戦いに挑んでいた。


「よし……」と覚悟を決めた彼が、ティースプーンを口に入れる。

ポン酢をダイレクトに味わった彼は、すぐにスプーンを落として苦しみだした。

喉を押さえて呼吸を乱していたのは、五秒ほど。

三日前の会議室での時より苦しむ時間が短いのは、変身するまいと抗う気持ちが少ないせいかもしれないと分析し、私は腕時計を確認する。

今は、十三時十六分二十秒。

ここが変身のスタート時間だ。


俯いていた顔を上げた久瀬さんが、視界に私を捉えた。

纏う雰囲気はガラリと変わっていて、獲物を見つけた狼のように瞳を怪しく輝かせ、ペロリと下唇を舐めていた。
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