エリート御曹司は獣でした
「相田さんらしいな」と感想を言って笑いを収めた彼は、「またね」と私に背を向けた。

今度は引き止めなかったのだが、駅に向けて歩きだした三歩めで足を止めた彼が、顔だけ振り向いた。

クスリと、大人の余裕を感じさせるような笑い方をする。


「こんな夜遅くに、男を部屋に上げてはダメだ。ポン酢がなくても、狼になるよ」

「えっ!?」


目を丸くする私に、舌先をほんの少し覗かせた彼は、前を向くと足早に駅へと歩を進めた。

遠ざかるグレーのコートの背中を見つめる私は、鼓動が五割り増しで高鳴っている。


久瀬さんが、冗談を言った……。

ベッと舌を出して……なにそれ、悶えるくらい可愛いんですけど!


社内での彼はいつも真面目で、あんな風に女性をからかうような言葉は絶対に口にしない。

素顔の久瀬さんには、お茶目なところもあるのだろうか?

それを私に見せてくれたということは……一歩、彼の心に近づけたのかな。


胸の中がザワザワと色めき立ち、コートの胸元を握りしめた。


どうしよう……。

分不相応な私が久瀬さんに恋をしたところで、成就しないのはわかっている。

だから今まで、ただの憧れの先輩にとどめていたのに、期待してみたくなる……。


空には冬の星座が瞬き、風は凍りそうに冷たい。

そんな中でも全身を火照らせた私は、外灯に照らされる彼の後ろ姿が見えなくなるまで、見送っていた。

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