【愛したがりやのリリー】
泣きだしそうな雲は、しかしそこから冷たい涙を零すことはなく、一線を越えたのは帰宅途中の電車を降りるときだった。
粒の小さな、ふわふわと軽い粉雪の降りしきる道を、そのまま進む。
今朝の天気予報では雪が降るとは言っていなかったから、傘は家に置いたままだった。
霙(ミゾレ)や雨よりは被害が大分少ないという、そこだけが不幸中の幸いである。
駅から家までは歩いて十分、走れば六、七分。
濡れた道を革靴で走る勇気はなく、諦めて歩いていった。
風に振り回される粉雪を体の四方から浴びて、芯から体が冷えていく。
風にはためくマフラーの端が背中に当たる。
角にあるコンビニの前を曲がり、最後の直線に入った時だった。
「……るくんっ」
昔から聞いてきた声が、名前を呼んだ気がした。
振り向くと、丁度コンビニから傘をさした女性が、こちらに駆けてきていた。
「走ると危な……っ!」
全てを言い終わらないうちに、見事に女性が足を滑らせる。
咄嗟に手を伸ばし、ビニール袋ごと彼女を抱き留めた。
「「…………」」
一瞬遅れて、濡れて色濃くなったアスファルトに、傘が落下する。
同時に、少し意味の違う安堵の息を吐いた。
「潤(ウル)さん……雪の時にブーツでしたら、もう少し注意していただきたいのですが……」
腕と体で支えた彼女を慎重に立たせ、傘を拾って開いたままのそれを差し出す。
「……ごめんね。流(ナガル)くんが傘さしてなかったから、追い掛けようと思って……」
傘を僕の手から受け取り、コンビニ袋を持ち直し、申し訳なさそうに気落ちした様子の彼女。
その様子に、強く言い過ぎてしまったかと焦りが生まれる。
「いえ、そういうつもりではなくて……無事ならいいんです。お気遣いありがとうございます」
落ち込んだ彼女の心を少しでも晴れさせたくて、笑んでみせる。
少し僕の顔を見つめてから、安心したように彼女は顔を緩めた。