キズ色カフェタイム
十平方センチメートル以上のフィルターを持つ者の九十九パーセントは他人のフィルターに痛みを与えない、という統計がある。
なぜそうなのかは未解明だ。
痛みを受け取ることの不快や苦痛を知っているから与えたがらないのだ、というお人好しな推論を、わたしは信じていない。
どんなに大きなフィルターの持ち主でも、言葉による直接的な攻撃を容易におこなうことができるのだから。
「映画音楽だったんだって? 文脈から切り離されたその曲自体は、きみも知っていた。バンドメンバーが映画全体を踏まえた上でその曲を絶賛したから、きみも映画を観た」
「……その映画、知ってます?」
「学生時代、劇場で観た。嫌いだったよ。完成度は高いんだろうけど、なぜそれを制作しようと思ったのか、わたしにはわからなかった。
けっこう多いんだよね、世間の評価と自分の感性がずれること。こんなわたしが書く小説がおもしろいのか、ときどき不安になる」
彼が大きく息を吐いた。
繰り返し吐く息だけが、はっきりと耳に引っ掛かる。
過呼吸の一歩手前で踏み止まっているんだろう。
吸い込む一方で吐き出せなくなったら、当たり前の呼吸の仕方を忘れる。
それが過呼吸だ。
対処できるのは、きっと、その症状に陥《おちい》った経験があるからだ。
「よくできた映像作品って、暴力ですよね。絵も音も動いて、勝手に飛び込んでくる。拒絶できないうちに意識を呑み込まれて、全部終わってからやっと、トラウマからだらだら血を流してる自分に気が付くんです」
「経験あるよ、わたしも。だから、テレビも映画も滅多に観ない」