キズ色カフェタイム
「まずいと勘付いたときにやめればいいだろって、傍から見ればそうなんでしょうけど、できなかったんです。
今やめたら、嫌な感触と音楽が結び付いたままになる。メンバーが好きな映画と音楽を自分だけ違うふうに感じてしまうって、悔しいし寂しいし、それで……」
声が止まる。
震える息が吐き出される。
いや、吐こうとするそばから浅い息が喉に入っていくようで、横顔が青ざめている。
わたしは、彼の右手の下から赤黒い左手を引き出した。
その手で彼の耳を包む。
かちり、と硬い音が鳴った。
わたしの手ほどではないにせよ、彼の真珠色のフィルターもずいぶん硬化が進んでいる。
ざらざらとした感触を、皮膚とは違う器官が知覚した。
彼のフィルターが彼自身の痛みを濾過《ろか》する感触だ。
わたしは彼の耳に自分の手を押し当てる。
やめてください、と彼の唇が動くのが見えた。
苦しげな呼吸に妨《さまた》げられて、声は出ない。
わたしはやめない。
「直接触れることで濾過の効率が上がる。だから、わたしは人と接触するのが嫌いになった。でも、今はこうしていたい」
ざらざら、ざらざらと左手が疼《うず》く。
他人の体温は簡単に握り潰せそうに柔らかくて、それが恐ろしい。
あのさ、と前置きを言う。
お節介は重々承知なんだけど、と。
「好きな人と同じものを好きなら幸せだよ。同じものを好きになろうと努力する気持ちもわかる。
だけど、好みが完全に一致する相手なんかいない。バンドメンバーとの音楽性や芸術性の不一致は珍しくない。特にきみのバンドは、きみだけが若いしね」