榊龍一は我流で占う
あなたは、オラクルカードを知っているだろうか?
カードを引くことで、「天啓」を、また「予言」を知る。
たった1枚に込められたメッセージを、また数枚に込められたメッセージを、占い師が告げることにより、人生の道が開く――
それが、オラクルカードである。
そして今、ひとりの日本人が、オラクルカードを手に、現れた――
新宿にある「占館しあわせ」は今日も盛況だった――
ひとりを除いては。
人気の占い師達が、今日の顧客すべてを癒し終え、つまりは仕事を終え、これから帰宅しようという最中、たったひとりだけが、自分の個室にしがみついていた。
「――月立さん?」
超人気占い師のマリアが、ひょっこり顔を出して話しかけてくる。アメリカ人とのハーフで、それこそ本当に予約が取れない占い師として有名だ。
「・・・・・・」
机に突っ伏したその男は、魂エネルギーがゼロになったのかと思えるほどに動かず、ただじっと、そこにいた。
コレがマンガなら縦線入ってるな、と言えそうな雰囲気だ。
「もう、閉店時間ですよ」後ろからクスクスと笑う声がする。
「また月立さん、お客さんなし?」
「人気ないわねえ」
仲間やスタッフの笑う声が聞こえてきそうだ。
というか聞こえている。
そんな中、自分を見下すことなく、占い師マリア――本名は別にあるらしいのだが――は、明るく罪のない、これだけ悩める顧客を抱える占い師であるというのに、それに引っ張られることのない曇りなき碧い瞳でその男を見ていた。
「・・・今日も、客が来なかった・・・」月立と呼ばれる男は言う。
顔を上げれば、それは三十代後半だろうか、髪もぼさぼさで、服も普段着、まるで冴えないひとりの男性がそこにいた。髪を綺麗に梳けば見られる顔のはずなのだが、何故か本人はソレをやらない。
にっこり笑って、「そんな日もありますよ」
「毎日だ!」月立――まあそれはいわゆる仕事用の名前で本名は別にあるのだが――は、うがーっ、とマリアに言った。
「これで何日目だ! ここにきて一ヶ月、来た顧客は偶然腹痛で欠席した他の占い師のヘルプに入った一度きり! つまり初日以外客なし!」
「私は、必ず、月立さんは人気の占い師になると思います!」
「マリア・・・」
「だって、お話しも判り易いし、いい人だし――その、とっとにかくっ」マリアは何故か急に話を変えた。「今日はもうおしまいにしましょう? ねっ?」笑顔で首を傾ける。
そこにひとり、いやみったらしい声が聞こえてくる。
「くっくっく、そうそう。早く帰らないと掃除の人が迷惑するぜ?」
それはこの店のナンバー2。
――占いラッパー、雨炉戊露須、ウロボロス――だ。本名が須田純吉なのは内緒である。
ラップで占いをするという、触れ込みの占いしなのだが、これが何故か人気がある。
最初はなんて名前だと思ったが、この店ではベスト3に入るのである。
年齢不詳。なんと占い歴は20年にもなるという。いくつだ。純吉。
「月立さん」さすがのウロボロスも月立を、お互いの年齢など分からないため、さん付けで呼ぶ。「もうこれで一ヶ月近く閑古鳥だぜ?」
ぐっ。
「そんなことはありません。月立さんはかならず――」
「おお、これはマリアさん」ナンバーワンであるマリアにはウロボロスは丁寧だ。
「ですが、その男、これまで一度しかお客さんが付いたことがないんですよ」軽蔑するかのように、というか軽蔑して言う。こいつにとっては、顧客の数と売り上げが、人間を見る、というか同業を見るすべてのステータスなのだ。
「オーナーも良くあなたのような人を雇っているよなあ。不思議で仕方がないよ。おっと、これから別件の鑑定があるので失礼・・・人気の占い師はどこも引っ張りだからな、どこかの〝月一顧客〟の男とは違ってね」
ウロボロスが去った後、
「気にしなくていいですよ」マリアが言う。「私だって、最初は人気なかったんですから」
「ありがとう」
「今日は、立花さんの送別会ですよ。行きませんか?」マリアがおもむろに切り出す。立花さんは眼鏡を掛けた愛らしい女性で、三年ほどここにいて、別の仕事を始めるらしい。
「――悪いけど、用事があるんだ」月立は言った。
「そうでしたか」
そこで、明るく罪のない声が聞こえる。
「すいません、月立さん、まだここに――あっ」
スタッフの立花さんだ。 最後の挨拶なのだろう、全員に声を掛けて廻っているらしい。良い娘だ。
「月立さんは欠席だそうですよ」少し残念そうに、マリアが言う。
「出ないけど、送別会の会費は出すよ」月立は言った。
「そんなの、いらないですよう。だって出ないんですよね」身を乗り出して立花さんが言う。
「まあ、そうだが。俺は前の会社でもいつもそうしていたぞ」
はっ、となる。しまった、前の会社の話なんかしたことなかったのに。
マリアが聞く。「会社勤めしていらっしゃったんですか?」
「まあ、それはともかく」月立ははぐらかした。「なら、これでどうだい? 立花さん、俺はあなたをオラクル、つまり1枚で占う。値段はいらないから、それを送別代にしてくれ」
「ええと、どうしよう。うーん」とてもうれしそうにするが、まだためらっている様子だ。立花さんは、店の中で占いをすることにためらいがあるのだろう。
「仕事じゃない。これは君と、お友達同士のタロットだ。気持ちだよ。値段も発生しないし、送別会代のかわりじゃなく、気持ちなんだ」
「それなら、よろしくお願いします」
「私も見ていていいですか?」マリアが言う。
「どうぞ」別に構わない。
「もちろんです」立花さんはマリアを尊敬していた。彼女はここではアイドルスターのような存在だ。
席をすすめながら、月立は言う。
「失礼だが、どんなお仕事に就くんだい?」
「飲食店で働くんです。友人に手伝って欲しいと言われて」
タロットカードは何を使おう。
今大流行のオノ・タロットを使おう。
日本人が書いたもので、漫画的な絵柄が海外でも人気、いま世界中で使われている。
タロットカードを回す。ぐるぐるぐる。
三分の一ずつ分けて、ちゃちゃっと切る。日本人の手には少し大きい気もする。
さらにカットして「3つにカットして」三分の一ずつ、分けてもらう。
期待に胸膨らませ、立花さんはカットした。
出たカードは、「恋人」。天使、ふたりの恋人、後ろには二本の木。
その様子を見て、立花さんがハッとなった。
「・・・ひょっとして、ボーイフレンドの店を手伝うんじゃないのかな?」
立花さんはうなづいた。
「そうなんです。最近離婚して、それで、私に手伝って欲しい、と言って――でもまだ、その」
思わずマリアと顔を見合わせる。
「その男性とは恋人になる可能性が高いね」
えーっ、と嬉しそうな声を上げて、「本当ですか」
「うん。状況からも、カードからもそう見える」言葉を句切り、「ただひとつだけ注意して欲しい。恋人のカードに書かれている恋人同士は、アダムとイブと言われていてね、まだ誘惑を知る前の段階なんだ。これから知恵の実を食べて、色々なことを覚えていくんだけど、それはこれから。つまり、誘惑もいろいろあるって事さ」
しきりに立花さんはうなづいている。
「だから、いろんな誘惑には気をつけて欲しい。それこそいろんな事があるだろう。でも、大丈夫。カードの名前が恋人だし、それに――天使が見ているんだからね」
「はいっ」立花さんは感謝に心をふるわせて言った。
「素晴らしいです」マリアが思わず口に出した。「月立さん、オリジナルのタロットとかも作れそう」
月立の動きが一瞬止まった。
ぴぴぴぴぴ、と形態のアラームが鳴る。
しまった、待ち合わせの時間だ。
「それじゃ、どこかで会おう。元気で」
月立は自分の職場を離れた。
出れば外は冬だ。
吐けば息が白い。
道交う人々は、皆足早で、背筋を丸める人もいれば、楽しそうに歩くカップルもいる。
そっ、と、つらそうな顔をして、歩く。
――ああ、あの人を俺が癒せたらなあ。
と、思う。
タクシーを拾う。
ジャスト20時30分、手を挙げれば、そこには「個人」と書かれたタクシーがやって来ていた。
立石は車に入る。今までとは少し、様子が違った。
「ちょっとした予定が入った」運転手に、さっきまでとは少し違った様子で声を掛ける。「5分前にいなかったら焦ったろう」
運転手が、低い声で言った。そして月立の本名で呼ぶ。
「お待ちしておりました。榊様」
つづく
カードを引くことで、「天啓」を、また「予言」を知る。
たった1枚に込められたメッセージを、また数枚に込められたメッセージを、占い師が告げることにより、人生の道が開く――
それが、オラクルカードである。
そして今、ひとりの日本人が、オラクルカードを手に、現れた――
新宿にある「占館しあわせ」は今日も盛況だった――
ひとりを除いては。
人気の占い師達が、今日の顧客すべてを癒し終え、つまりは仕事を終え、これから帰宅しようという最中、たったひとりだけが、自分の個室にしがみついていた。
「――月立さん?」
超人気占い師のマリアが、ひょっこり顔を出して話しかけてくる。アメリカ人とのハーフで、それこそ本当に予約が取れない占い師として有名だ。
「・・・・・・」
机に突っ伏したその男は、魂エネルギーがゼロになったのかと思えるほどに動かず、ただじっと、そこにいた。
コレがマンガなら縦線入ってるな、と言えそうな雰囲気だ。
「もう、閉店時間ですよ」後ろからクスクスと笑う声がする。
「また月立さん、お客さんなし?」
「人気ないわねえ」
仲間やスタッフの笑う声が聞こえてきそうだ。
というか聞こえている。
そんな中、自分を見下すことなく、占い師マリア――本名は別にあるらしいのだが――は、明るく罪のない、これだけ悩める顧客を抱える占い師であるというのに、それに引っ張られることのない曇りなき碧い瞳でその男を見ていた。
「・・・今日も、客が来なかった・・・」月立と呼ばれる男は言う。
顔を上げれば、それは三十代後半だろうか、髪もぼさぼさで、服も普段着、まるで冴えないひとりの男性がそこにいた。髪を綺麗に梳けば見られる顔のはずなのだが、何故か本人はソレをやらない。
にっこり笑って、「そんな日もありますよ」
「毎日だ!」月立――まあそれはいわゆる仕事用の名前で本名は別にあるのだが――は、うがーっ、とマリアに言った。
「これで何日目だ! ここにきて一ヶ月、来た顧客は偶然腹痛で欠席した他の占い師のヘルプに入った一度きり! つまり初日以外客なし!」
「私は、必ず、月立さんは人気の占い師になると思います!」
「マリア・・・」
「だって、お話しも判り易いし、いい人だし――その、とっとにかくっ」マリアは何故か急に話を変えた。「今日はもうおしまいにしましょう? ねっ?」笑顔で首を傾ける。
そこにひとり、いやみったらしい声が聞こえてくる。
「くっくっく、そうそう。早く帰らないと掃除の人が迷惑するぜ?」
それはこの店のナンバー2。
――占いラッパー、雨炉戊露須、ウロボロス――だ。本名が須田純吉なのは内緒である。
ラップで占いをするという、触れ込みの占いしなのだが、これが何故か人気がある。
最初はなんて名前だと思ったが、この店ではベスト3に入るのである。
年齢不詳。なんと占い歴は20年にもなるという。いくつだ。純吉。
「月立さん」さすがのウロボロスも月立を、お互いの年齢など分からないため、さん付けで呼ぶ。「もうこれで一ヶ月近く閑古鳥だぜ?」
ぐっ。
「そんなことはありません。月立さんはかならず――」
「おお、これはマリアさん」ナンバーワンであるマリアにはウロボロスは丁寧だ。
「ですが、その男、これまで一度しかお客さんが付いたことがないんですよ」軽蔑するかのように、というか軽蔑して言う。こいつにとっては、顧客の数と売り上げが、人間を見る、というか同業を見るすべてのステータスなのだ。
「オーナーも良くあなたのような人を雇っているよなあ。不思議で仕方がないよ。おっと、これから別件の鑑定があるので失礼・・・人気の占い師はどこも引っ張りだからな、どこかの〝月一顧客〟の男とは違ってね」
ウロボロスが去った後、
「気にしなくていいですよ」マリアが言う。「私だって、最初は人気なかったんですから」
「ありがとう」
「今日は、立花さんの送別会ですよ。行きませんか?」マリアがおもむろに切り出す。立花さんは眼鏡を掛けた愛らしい女性で、三年ほどここにいて、別の仕事を始めるらしい。
「――悪いけど、用事があるんだ」月立は言った。
「そうでしたか」
そこで、明るく罪のない声が聞こえる。
「すいません、月立さん、まだここに――あっ」
スタッフの立花さんだ。 最後の挨拶なのだろう、全員に声を掛けて廻っているらしい。良い娘だ。
「月立さんは欠席だそうですよ」少し残念そうに、マリアが言う。
「出ないけど、送別会の会費は出すよ」月立は言った。
「そんなの、いらないですよう。だって出ないんですよね」身を乗り出して立花さんが言う。
「まあ、そうだが。俺は前の会社でもいつもそうしていたぞ」
はっ、となる。しまった、前の会社の話なんかしたことなかったのに。
マリアが聞く。「会社勤めしていらっしゃったんですか?」
「まあ、それはともかく」月立ははぐらかした。「なら、これでどうだい? 立花さん、俺はあなたをオラクル、つまり1枚で占う。値段はいらないから、それを送別代にしてくれ」
「ええと、どうしよう。うーん」とてもうれしそうにするが、まだためらっている様子だ。立花さんは、店の中で占いをすることにためらいがあるのだろう。
「仕事じゃない。これは君と、お友達同士のタロットだ。気持ちだよ。値段も発生しないし、送別会代のかわりじゃなく、気持ちなんだ」
「それなら、よろしくお願いします」
「私も見ていていいですか?」マリアが言う。
「どうぞ」別に構わない。
「もちろんです」立花さんはマリアを尊敬していた。彼女はここではアイドルスターのような存在だ。
席をすすめながら、月立は言う。
「失礼だが、どんなお仕事に就くんだい?」
「飲食店で働くんです。友人に手伝って欲しいと言われて」
タロットカードは何を使おう。
今大流行のオノ・タロットを使おう。
日本人が書いたもので、漫画的な絵柄が海外でも人気、いま世界中で使われている。
タロットカードを回す。ぐるぐるぐる。
三分の一ずつ分けて、ちゃちゃっと切る。日本人の手には少し大きい気もする。
さらにカットして「3つにカットして」三分の一ずつ、分けてもらう。
期待に胸膨らませ、立花さんはカットした。
出たカードは、「恋人」。天使、ふたりの恋人、後ろには二本の木。
その様子を見て、立花さんがハッとなった。
「・・・ひょっとして、ボーイフレンドの店を手伝うんじゃないのかな?」
立花さんはうなづいた。
「そうなんです。最近離婚して、それで、私に手伝って欲しい、と言って――でもまだ、その」
思わずマリアと顔を見合わせる。
「その男性とは恋人になる可能性が高いね」
えーっ、と嬉しそうな声を上げて、「本当ですか」
「うん。状況からも、カードからもそう見える」言葉を句切り、「ただひとつだけ注意して欲しい。恋人のカードに書かれている恋人同士は、アダムとイブと言われていてね、まだ誘惑を知る前の段階なんだ。これから知恵の実を食べて、色々なことを覚えていくんだけど、それはこれから。つまり、誘惑もいろいろあるって事さ」
しきりに立花さんはうなづいている。
「だから、いろんな誘惑には気をつけて欲しい。それこそいろんな事があるだろう。でも、大丈夫。カードの名前が恋人だし、それに――天使が見ているんだからね」
「はいっ」立花さんは感謝に心をふるわせて言った。
「素晴らしいです」マリアが思わず口に出した。「月立さん、オリジナルのタロットとかも作れそう」
月立の動きが一瞬止まった。
ぴぴぴぴぴ、と形態のアラームが鳴る。
しまった、待ち合わせの時間だ。
「それじゃ、どこかで会おう。元気で」
月立は自分の職場を離れた。
出れば外は冬だ。
吐けば息が白い。
道交う人々は、皆足早で、背筋を丸める人もいれば、楽しそうに歩くカップルもいる。
そっ、と、つらそうな顔をして、歩く。
――ああ、あの人を俺が癒せたらなあ。
と、思う。
タクシーを拾う。
ジャスト20時30分、手を挙げれば、そこには「個人」と書かれたタクシーがやって来ていた。
立石は車に入る。今までとは少し、様子が違った。
「ちょっとした予定が入った」運転手に、さっきまでとは少し違った様子で声を掛ける。「5分前にいなかったら焦ったろう」
運転手が、低い声で言った。そして月立の本名で呼ぶ。
「お待ちしておりました。榊様」
つづく
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