◎あなたのサークルは、世間知らず御曹司の隣に配置されました。
「なおさんの漫画、借りてもいい?」
「もちろん」

 愛里は夏コミで買った尚貴の漫画をここに持ってきてはいないので借りることにした。在庫は大量にあるのを知っている。尚貴がメイドに言いつけて持ってきてもらう。

 愛里は受け取ると、よし、と仕事モードに切り替え、さっそくページを繰り始めた。

 一度は読んだ内容を再度辿る。

 なおの漫画――絵画とも言えそうな繊細優美な作画は素晴らしく文句のつけようがない。

(んー……)

 ただ、やはり何度読んでもストーリーがさっぱり頭に入ってこない。これは自分の読解力が低いせいなのか、それともなおの表現が誤っているのか。

 そもそもなおがどこを目指しているのかを確認してからでないと、愛里の自己満足でない「なおにとっての有益なコメント」を絞り出せない。

 他方、自分の漫画を熟読してくれている尚貴を遮りたくなくて、「それ一作読んだら教えてくれる?」と区切りを求める。尚貴が頷くと、それからしばらくそれぞれの作品世界に没頭した。

 それは心地よい沈黙だった。

 だが、尚貴が愛里の作品を読み終わるかどうかといったタイミングで、練習用の食器の準備が整ったという知らせが入った。

「続きは、また後だね」
 愛里が打ち切ろうとして声をかけると、尚貴は「うん」と顔を上げながらも視線がページに吸い付いたままで、そのまま黙る。
 
 作者として、こういう瞬間はとても嬉しい。
 自分の作品に夢中になってくれている顔は、たとえ相手が尚貴でなくとも、誰が相手だとしても愛しく思えるものだ。

 切り上げるのがもったいないけれど、食事の時に議論したっていいし、キャラカクテルの時にもたくさん話せるだろうからと、愛里は立ち上がって先に移動する。尚貴は行儀悪く立ち読みしながら移動を始める。

(めっちゃ読んでくれてる……)

 俄然楽しい気分が湧いてきた。
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