放課後の準備室、先生と。

文化祭





結局、早いもので文化祭になってしまった。

私が一足先に着替えを済ませて屋台に向かうと、そこにはもうすでに先生がいた。

「おはよう。似合うね」

息をするように、先生は私を褒める。

「ありがとうございます」

世の中の大半がお世辞で、嘘であると思っている。だからこれもきっとそう。

本を読みすぎた私は少しひねくれた考えだ。

「さっきも思ったけど、凄いね。本当に祭りにありそうだ」

先生は素直に感動したように、私たちの屋台を眺めた。奇跡的に、中庭という例年人気のスポットに店を構えることができたので、集客数では期待できる。

ちなみに、佐藤の描いた看板は、すでに全校の間であまりのリアリティーぶりに話題になっていたりする。勉強さえできれば完璧なのは最早疑いようもない事実だ。

「それで、レイはいつ仕事なの?」

「あ……えっと。見回り以外ずっと、ですけど」

もちろんこれには流石にクラスメイトも止めたのだが__回る人もいないで一人で寂しく過ごすよりは、たこ焼きを作っていた方が楽だと、無理やりに押し切った。

正直に言うなら先生と回りたい、という想いもほんの少しだけあったりするのだが、目につくようなことは避けたい。

付き合っているのに先生のことを何も知らないように、私たちは誰にとっても秘密の関係だ。

「先生こそ、仕事はないんですか」

「僕? 僕はないよ。ここで客寄せパンダにでもなってろって、副担任の山口先生に言われたし」

なんでそんなにやる気なんだろうね、と先生は少々疑問そうだったが、私にはわかる。クラスが一位になると、なんでも先生たちにもなんらかのメリットがあるらしい。

それがなんなのかは、聞いてしまうと戻れない気がするので、知らないままでいい。

「でもそっか。レイがずっとここなら、僕も動かなくていいし楽だな」

パイプ椅子に腰掛け、先生は本当に客寄せパンダになる。

「ねえレイ、僕も一個欲しい」

ガスをつけて、油を引く。たねは、もう、前日、ずいぶんな苦労とともに仕込んだ。だが当然焼いてはいないので、始まるより先に焼く必要がある。どれくらいのお客さんが来るかは未知数だ。回転効率を上げるためには、ある程度の作り置きは必要だった。

「手伝ってくださるなら、構いませんけれど」

「いいよ。レイのためなら」

先生は白衣を揺らしながら、ネクタイを緩めた。ただそれだけなのに、どことなく色気が増す。

「こっち半分は、やりますから。先生はそちらを__」

言い終わるより先に、シャッター音が耳朶を打った。驚いて顔を上げると、いたずらっぽい笑みを浮かべた、写真部の小前さんがいた。

「いやあ、東さん、いい顔してますよー!」

「小前さん……」

小前さんは明るく活発で、とりあえず気に入ったものは何でも写真に撮る。私たちのクラスの集合写真ももっぱら小前さんが撮るので、小前さんはいつもいない。

「小前さん、写真見せてくれる?」

先生に呼ばれて、小前さんはカメラを手渡す。

先生は真面目な顔でディスプレイを見ている。何となく気になって私も覗くと、それはどこからどう見ても、私が楽しそうにしながら先生といる写真だった。

「……後でこれ、もらっていい?」

「えっ、ちょっと」

「お安い御用ですよー! 後で現像しますね!」

小前さんは、校内を撮ってくると言って、去っていく。

「レイの写真持ってなかったなと思って。小前さんはいい仕事をするね」

「そう、ですね」

液体を流しながら、先ほどの写真を思い出す。

__久しぶりに、自分のあんな顔見た。

私が心の底から楽しかったのは、両親といるときを除けば、ずっと本を読んでいるときだけだった。

本を読むと、私は何もかも忘れられた。

でも最近は、本を読んでいない。あれだけ楽しみだった新刊も、本棚に並べてから、まだ1ページも開いていない。

それが意味することは、やっぱり__

「東っ」

予想だにしない声に、液体を持つ手が荒ぶった。目に見えて動揺した私に、声をかけたほうが動揺した。

「悪い、だい、じょうぶか……?」

佐藤はばつの悪そうな顔を浮かべた。私は息を整えて、何とか頷く。

ちらりと先生を見ると、唇の端が堪えきれないように上を向いていた。

……笑われた。

「ていうか、なんで垂水先生が作ってるんですか! ずるいっすよ、変わってください!」

「嫌だよ。“東さん” に頼まれた僕の唯一の仕事なんだから」

まただ、と思った。先生は私と二人きりじゃないと、私のことを下の名前で呼ばない。

だから、逆にそれが特別なことのように思えてしまうのは、むしろ自然なことなはずだ。

「……垂水先生は、」

「君にはなんだかその呼び方をされたくない。垂水、でいい。敬語もいらない」

手早くタコを入れながら、先生は返す。慣れているあたり、先生はきっと普段から何かしら料理をしているに違いない。

「垂水は、生徒の祭りに参加していいのかよ」

佐藤は唇を尖らせながら、先ほど先生が座っていたパイプ椅子に腰掛ける。

「ははっ、随分わかりやすい性格だね君は。それなのに気づいてもらえないなんて残念だなあ」

「……なんのことだよ」

「まあ、そうやって意地を張るのは佐藤の自由だからね。僕は別に止めないよ。……まあ、その間に食べられても、僕は知らないけれど」

こんな風に、とでも言いたげに、先生はたこ焼きをひっくり返し始めた。器用に楊枝を操っているその様は、見ていて気持ちいい。

私も先生のようにしてみるけれど、あまりうまく回らない。悪戦苦闘していると、先生はふと笑う。

「そうじゃなくて、まず先に外のやつも中に入れるんだよ」

「中に……?」

家で一応作っては見たのだが、綺麗にできなかった。楊枝でくるりと回せる両親に教授してもらったのだが、その成果はあまりない。今までひっくり返したものは、正直商品にはなりそうにないので、これ以上の失敗は避けたい。

中に入れて、くるり。

イメージトレーニングをして、次のたこ焼きを回してみる。

「あ……!」

先生のように、綺麗に回った。

なんだか嬉しくて、先生の方を見ると、ガッチリと視線がかち合った。

「ふふ、おめでとう。上手だね」

先生は、ふんわりと柔らかく、笑う。

「ありがとう、ございます……」

世の中の大半はお世辞。これも嘘。

だけど心が喜んでいるのは、紛れも無い真実だ。



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