放課後の準備室、先生と。




 二人きりの密室は、なんとなく準備室を彷彿とさせた。

 ゆらりと動くゴンドラ。一周は、15分。対面に座った先生は、ずっと景色ばかり見ている。

 何を話していいのかわからず、膝の上のくまの手を揺らして、遊んでみる。彼は愛らしい仕草をしてみせた。かわいい。

 「……そのくま、名前ついてるの?」

 静寂を破ったのは、先生の何気ない一言。

私は慌てて、首を振った。

 「な、名前ですか。ついてな__」

 がたん、とゴンドラが揺れた。先生が、少し動いたら唇が触れてしまいそうなくらい近い位置にいる。

 彼は呆れたような顔をして、囁いた。

 「君は大概嘘が下手だなあ。……僕の名前で、そのくまのこと、呼んでたでしょ」

 「……それは」

 恥ずかしくて、責められているようで、私は俯く。先生は私の隣に腰掛けると、優しく頭を撫でた。

 「別に責めてるわけじゃないよ。ただ少し、嫉妬してるだけ」

 「……嫉妬?」

 「だって、僕のことはずっと“先生”なのに、そのくまは“彼方さん”なんでしょ? それで妬くなって言われる方が、難しいよ」

 そういうものなのだろうか。私にはよく、わからない。

 でも、先生がそれを望むなら、なんて思って、私は絞り出すように言ってみた。

 「……かな、たさん」

 とてもじゃないけど、まっすぐ彼の顔を見るなんて無理だ。さっきあのくまを呼んだときの何倍も恥ずかしい。

 先生はさらりと私の名前を呼んで見せるのに。

 やっぱり私は、まだ子供。

先生は何も言わずに、黙ってしまった。

 再び訪れた静寂に、どうすればいいかなんてわからない。観覧車の中は、逃げ場なんてない。私もまた、黙ってしまう。

 「……レイ、今のは反則」

 不意に先生はそう呟いた。何が、と聞く前に、先生の顔が目の前に見えて、気づいたときにはもう、唇が重なっていた。

 柔らかで、優しい口づけ。拒みきれないのは、心地いいからだろうか。

 私の唇を貪るわけでもなく、ただそっと重ねてくる。それがなんとなく、好きだった。

 先生は私から離れると、かすかに自嘲気味な笑みを見せた。

 「……レイと一緒だと、本当にダメになりそう」

 「何がですか?」

 「ん……今はまだ、秘密ってことで」

 しーっと人差し指を口元にあてた先生は柔らかく笑った。

 ちょっとだけどきりとしながら、私は頷くだけにとどめておく。

 __観覧車はちょうど、頂上に着こうとしていた。

 「わぁ、高いですねえ……」

 遊園地のアトラクションが、とても小さく見える。すごく鮮やかな橙色の空が、ゆっくりと消えていく。

 もうこれが終われば、あとは帰るだけ。明日は普通に学校があって、先生と私は表面上は元どおりの関係に戻る。

 その前に、謝りたいことが私にはあった。

「あの……一つ、いいですか」

 先生は目だけで続きを促した。

 「えっと……初めて、告白されたとき、嫌いって言ったの、覚えてますか」

 もちろんとでもいうように、先生はうなずいた。

 「あれ、なんていうか……言葉の綾、ですから」

 「言葉の綾?」

 「ああ、えっと、つまり__あんまり、気にしないでほしいって、ことです」

 そう言ってから、後悔した。

 だって、先生がとてもいたずらっぽい笑みで私を見たから。

 「じゃあ、レイは僕のことが好きなの?」

 耳元に吹き込まれた言葉は、猛毒。

 「っ……⁉︎ そんなこと、言ってな……‼︎」

 「ふふ、冗談だよ。いや……僕は冗談抜きで君が好きだけど」

 先生はいつだって私より上手で、私を振り回してくる。当たり前といえば、そうかもしれない。私は子供で、先生は大人なのだから。

 だけど、いつもいつもやられっぱなしは嫌だから、少しだけ仕返しをしてみる。

 かすかに空いていた隙間を埋めるように先生に近寄って。

 「……明日からまたよろしくお願いします」

 先生の手をそっと握ると、先生は珍しく照れたように笑い返してきた。

 「こちらこそ」

 そのどこか素っ気ない返事で、そのうち満足できなくなるのだろうか。

 先生との仮の恋人同士が終わった時に、きっと私の答えは出ている筈だ。

 だから今はまだ、この胸の感情に名前はつけない。






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